035 とても厳しい契約条件 (コンビニ03)

06:物流システム

コンビニをテーマにしている関係上、自分の住まいから自転車で動ける半径2Km程度のコンビニ店舗の写真を撮りに出かけてみた。
既にコンビニブームは過ぎてますが、改めて見渡すとコンビニだらけ・・・その数10や20店舗じゃ収まりません。
改めてその数に驚きます。



流通システム/物流システム徒然記

ともあれ伊藤忠商事の労もあって、ようやくトップと会談することが出来る。それが1973年04月となる。
「 これは日本でもビジネスになる 」 と直感してから、サウスランド社と交渉の席に着くまで約1年も経過していた。

余談だが、ネットでセブンイレブンの歴史を調べるとほぼ同じ時期の05月 イトーヨーカードはデニーズ社とライセンス契約を結び、同年11月(株)デニーズジャパンを設立してる。

及びプロジェクトXの話によれば、当時全米4200店舗を抱えるセブンイレブンの成功の秘訣は、サウスランド社の100冊に及ぶ極秘マニュアルだと指摘している。
しかし、このマニュアルは後で全く役に立たないことが分かる。

当時 西欧進出を考えていたサウスランド社にとって日本は全く眼中に無く、1973年04月の交渉から同年11月にライセンス契約を結ぶまで交渉はかなり難航した。

サウスランド社も契約に際して日本に視察を出掛け、日本の風土がコンビニビジネスとして成立するのか徹底的に調査していた。


巷に出ているセブンイレブンの生い立ちを記述してある書籍なら大抵載っている内容だが、ちょっと契約条件に触れてみる。

ライセンスの条件


ともあれ、「 8年で1200店舗にすること。出来なければペナルティを課す 」
何とかロイヤリティを大幅に引き下げに成功したとは言え、商標使用料もまだまだ高額であり、鈴木は決死の覚悟で契約することになる。

社内上層部の殆どは「 辞めておいた方がいい 」の意見だった。
イトーヨーカドー伊藤雅俊社長も、最終判断に迷い なかなかゴーサインを出せない状態だった。


鈴木が交渉に強く出られたのは、こうした社長の迷いもあって、絶対に契約しなければいけない切羽詰った状態ではなかったからかもしれない。


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