コンピュータの歴史、

039 WindowsXP戦略

03 : コンピュータとシステム

Windows9x系とWindowsNT系の2系列でWindowsOSは提供されていた。
WindowsXPの登場によりマイクロソフトは、これまでの2系列の開発の負担は大きく減ることになる。

とは言え、旧バージョンのソフトも動作させる必要があるため、アプリケーション互換モードを用意するなど数々の配慮をしているところは流石だと思う。

WindowsXP

私的には、この頃になると完全にOSはブラックボックスになった。

入門書は一般書店にも沢山並びだすが、OSの深い箇所まで解説した技術専門書が見かけなくなってしまった。

Windows3.1の時代はファイル数もそれほど多くなかったので、OS構成は理解出来たが、Windows95以降は、何が何だか分からなくなった。
システムが複雑になりすぎて、もはやOSの構造や仕組みなんか覚える気もしない。開発に必要箇所だけ知れば良いスタンスへと変わっていく。

アプリケーションが高機能になりすぎたこともある。
ワードやエクセルなどのオフィス製品、Visual studioを代表とする言語開発環境、クリエイター御用達のAdobe製品等を自由に使い倒すだけでも、相当な経験が必要となってくる。

OSはブラックボックス前提で使うことが常識となった。


(注)図の資料元

038 1995年のPC市場

03 : コンピュータとシステム

OS/2 Warp が登場する時代は、Windows3.1が市場に浸透し、Windows95が登場しようとする頃だ。
私は OS/2 Warpを良く触った一人なので、非常に懐かしい。
ちょうど、山口智子シェフ役の「王様のレストラン」のテレビドラマが流れた時期でもある。


Windows95が登場する頃は、まだNEC-PC98シリーズは健闘していた。

「NEC-PC98シリーズ、Windows95で日本をバージョンアップ」、浅野温子をテレビCMに登場させ頑張っていた。

余計なお世話だが、Windows98になったら NEC-PC98 はどう対応するんだろうと思ったもんだ。

「PC98とWindows98」の表示は、あまりにもややこしいと思ったからだ。
当時こう思ったのは、絶対に私だけではないと思う。


だが、混乱の情報を特に聞いていない。
NEC-PC98シリーズにWindows98は登場してはいたようだが、既にNECもAT互換機路線に方向転換していたため混乱は起きなかったようだ。
「ようだ」と記載したのは、完全に他社AT互換機路線だった私は、当時の状況は良く知らないからだ。

DOS/Vが登場し、僅か数年で業界の流れが大きく変わってしまった。
ちょっと皮肉なものだ。

037 Windows95からWindows98へ

03 : コンピュータとシステム

このあたりのWindowsバージョンになると、非常に多くの人が知っているはずだ。

Windows98からInternet Explorer 4.0(IE)がOSに提供された。
勿論、最初からバンドルされるIEにNetscape Navigatorは勝ち目はなく、瞬く間にシェアを奪われてしまった。

Windows98のSecond Edition(SE)でIEは 5.0に、私は使用経験のないWindowsME のIEは 5.5、WindowsXPが 6.0だったはずだ。

WindowsOS 遷移
パソコンの不具合でOSそのものを再セットアップした経験が何度かある。

OSを入れた後に、各種アプリをインストールするが、意外と常に使用するソフトって限定されているので必要に応じて加えていけば何とかなることが多かった。

OSの再セットアップもXPくらいまでは平気で行っていたが、それはディスクトップPCに限ってのことで、ノートパソコンのOSの再セットアップは正直かなり怖い。

動作しなくなったこともあり、修理に出したこともある。(惨め…)

Windows7あたりになると、OSを再インストールした経験さえない。
否!1回だけある。Windows7からWindows8のグレードアップを行い、全く動かなくなって、再度元に戻したことがある。

Windows98の後のWindows98SEは、IE 5.0の追加以外にDVDやUSB対応とか確実に進化を続けている。
OSが16bitと32bitが混在していていることが大きな特徴だ。(Windows 9x系)
プログラムがMS-DOSと裏で切り替わり、動作も不安定になることが少なくなかった。


並行して完全32bit OSのWindowsNTの存在もあった。
途中から名称が変ったが、クライアント向けのWorkstation版、サーバー向けのServer版があった。

安定性を重視するサーバー系の利用には、確かにWindowsNTを使用する企業は多かったようだ。
WindowsNTは、私も企業向けに少しだけ触った経験はある。
コントロールパネル等が少し違っていた記憶はあるが、操作性はWindows95や98とは何ら変わらなかった。


最初のWindowsNTは、何故か1.0でなく3.1から始まる
これは、Windows3.1と同期をとったからだろうか?(私の推測です…)

036 マイクロソフトのWindows OS 戦略

03 : コンピュータとシステム

これまで大型汎用機から始まって、ノンストップコンピュータ、ユニックス系、DOS系、Windows系と触れてきた。
話しは、ようやくWindows98にまで到達した。

Windows98、XP、Vista、7、8 、更にその後のスマートフォン、タブレット系の話しが登場してくることになる。
これまで、過去の時代をタイムマシンに乗ったような話を語って来たが、ようやく時代は現在の内容に近づいてきた。

WindowsOS 遷移

これは builder.japan.zdnet.com さんの資料をベースにしています。

そもそも、Windows1.0が登場して、途中から Windows95になって、またWindows7、8 の数字に戻っているが、これらの意味合いがこの図で何となく分かるように憶測を含めて記している。
よって、この図を決して学校の提出論文に引用しないようにして下さい。責任は持てません。

ある程度、Windows知識のある人は、この資料だけで相当の内容を理解することが可能だ。

035 電気の街、秋葉原無残

03 : コンピュータとシステム

私が学生時代、世界に名高い秋葉原は、世界に向けての電気製品情報発信基地だった。
テレビ、洗濯機、冷蔵庫等の白モノ家電、オーディオ製品、ビデオレコーダー、日本製品に勝るものなど無かった。
いつしかパソコンの街と変わって行くのだが、ここまでは良かった。
景気の後退もあって、次第にオタク系の街になり、メイド系、アイドル系と不思議な街に変わっていく。

秋葉原電気街
活気のあった頃の秋葉原


石丸電気、第一家電、ロケット、ヤマギワ、オノデン、サトームセン、ラオックス、大通りの大型店舗は勿論、露天商のように裏路地に行っても至る所で零細小売店が電気パーツを売っていた。
秋葉原に来れば、存在しない電気製品・パーツはないと言って良いほどだった。
しかし、この電気街の聖地は今や見る影もない。

秋葉原電気街の今

最大の理由は大手家電量販店の台頭。
例えば秋葉原にあるヨドバシカメラ秋葉原1店舗だけで、こと足りてしまう。
大手家電量販店は秋葉原以外にもあちこちに登場し、わざわざ秋葉原に来る必要もなくなった。

秋葉原電気街の今

かって秋葉原に行く場合、食事をしてから向かったもんだ。
どこも電気の店しかなく、食べ物屋を探すのが大変だったからだ。

秋葉原電気街の今

しかし、今や電気ショップだった場所が食べ物屋やアイドルショップなどに代わってしまった。
秋葉原の全盛期を知るものにとって、これはあまりにも寂しい。

秋葉原電気街の今

大通りの電気ショップで、以前のように電気製品だけで勝負している店舗はもう数えるしかない。否!存在しない。
裏通りも同様だ。電気パーツを扱っている店がどんどんなくなってしまった。
消費者の購買変化、世界グローバル化、日本の電気メーカーのシェア低下も大きな理由の一つではあるが、あまりにも寂しい。

秋葉原電気街の今

アイドル系について否定するつもりは全くない。
要は時代の流れなんだと納得するしかないのだが、かって電気製品で世界を席巻していた秋葉原は、今現在はない。

しかし、このまま日本が終わるはずがない。復活はこれからだ。

034 興味深いワープロの誕生秘話(2/2)

03 : コンピュータとシステム

前回の続き。

日本初のワープロ


日本語変換スピードに20秒かかった時間を3秒に縮める方法とは何か。
特に革新的な内容ではない。

① 変換候補を選択する場合、次回からそれを最初に表示する 学習機能 の搭載

② 入力している段階で候補を絞り込んでいく 先取り変換機能 の搭載

『 なるほど 』 そうか・・・技術が云々と言うより発想がポイントだ。
勿論、技術に裏付けられていなければいけない。

そんな紆余曲折があって1978年完成 、JW-10は1979年2月に店頭に並ぶ。
そして今に発展する。

昨今は日本語変換は瞬時に変換されて有り難味がないが、一昔前は確かにコンピュータが考える間(マ)があった。
コンピュータも人間臭かったのだ。

日本初ワードプロセッサーの詳細

少し古いですがこちらのサイトの後半にも載っています。

NHKスペシャルで放送されたシリーズ、確か電子立国とか言った番組でジャストシステムの一太郎の挑戦も素晴らしいストーリーだった。もう脱帽。

033 興味深いワープロの誕生秘話(1/2)

03 : コンピュータとシステム

日本初のワープロ

かなり前の番組だが、好評だったNHKのプロジェクトXの 『 運命の最終テスト ワープロ 日本語に挑んだ若者たち 』 のDVDを図書館で借りた。

森健一さんは、東芝で日本語ワードプロセッサーを開発した人で、私でも名前は良く知っている。
しかし、その裏側の苦労話まで知らない。

そんな知らない人のために、簡単に本編の内容を記載する。

欧米人は26文字のアルファベットを駆使して、タイプライターで契約書を作る。
かたや日本語は48文字のひらがなと5万語の漢字がそこにそびえ立つ。

高度成長期時代の日本、企業間取引の契約書の作成に手書きって訳にはいかない。
しかし、当時は和文タイプの出来る人は少数だった。
そこで、森健一さん達がワープロ作成に挑戦するというストーリーだ。


(1)当初、伊藤忠商事らが カタカナのタイプライター を使用していた模様。
しかし、文章がカタカナだけだと問題も多い。第一読みづらくて仕方ない。

カテイノモンダイ』→家庭、課程、仮定 いったいどれなのか分からない。
文章の前後で推測するしかなかった。


(2)パネルに漢字一覧表を作成し、それを選ぶ漢字テレックスも試作した。
さらに2500個の漢字を5mm角のマス目に埋めて、それをペンでタッチする方式も取り入れた。
しかし、5mm角のマス目を選択するのは間違いも多く とても使い物にならなかった。


(3)どこの企業もさじを投げた。
考えて考えた末に、ひらがなで入力して漢字に変換する方式を採用することとなった。

ポイントは辞書だった。日本語は同音異義語が多過ぎる。
当時のコンピュータの性能では、文章の意味を理解して漢字を選ぶことは不可能だった。


(4)辞書も膨大で、記憶装置がタンス4個分になったと言う。
かんきょうおせんかん(80種類の同音異義語)きょう(50種類)(15種類)せん(60種類)
この組み合わせだけでも360万通りになる。(驚異!)
変換スピードに20秒かかったらしい。これじゃあ実用に耐えられない。


しかし、彼らはこれを3秒に縮めることに成功した。
どうやって?
解決方法は全然技術的な話ではなかった。

032 ブラウザ戦争

03 : コンピュータとシステム

あえてブラウザ戦争なる言葉を定義するなら、Windows95の時代になると思う。

マイクロソフトはWindows95で大成功を収めた。Windowsは企業にも導入され、インターネットは目覚ましく進化を遂げていく頃だ。

しかし、マイクロソフトはインターネットを過小評価していたようで、標準のWindows95だけでは十分な機能を発揮することは出来なかった。
後付けで Windows Plus! と言うサービスパックの追加が必要だった。

Netscape Navigator

ディスクトップを楽しめるおまけソフトと銘打っていたが、インターネットの充実も目的の一つである。
最初のバージョンってことは、IE 1.0 になるのだろうか?
正直Internet Explorer(IE)のソフトは満足な出来とは言えなかった。
ネット環境にインストールすると ウザい MSN(Microsoft Network)にユーザー誘導される。全くの迷惑だ。

Netscape Navigator

当時、Netscape Navigatorが圧倒的に人気があって、確か無償で導入できるはずなのだが、8000円以上する Netscape Navigator GOLD なるものを 秋葉原で購入した記憶がある。
よって、私が最初にメインに使っていたブラウザは Netscape Navigator だ。


しかし、ビル・ゲイツは凄かった。路線を大きく変えてインターネットを強化していく。
打倒 Netscape社としてブラウザ開発に技術者を集結させたのだ。

Windows95が現役の時代に IE 4.0 まで進化したはずだ。
そして、Windows98は発売されると IE 4.0 は標準添付されるようになった。

031 パソコン通信

03 : コンピュータとシステム

パソコン通信、この言葉を聞くと、ビーガリガリの音とアナログ電話回線時代を思い出す。

Windows95はOSそのものにTCP/IPを備え、インターネット通信が可能となった。
確かにインターネットを使える環境になったが、コンテンツは貧弱で通信速度も遅く、とても便利なツールになっていなかった。
よって、私的には Windows95時代にインターネットを積極活用した記憶があまりない。

NIFTY SERVE

むしろ NIFTY SERVE によるパソコン通信の記憶の方が大きい。
NIFTY SERVEは、世界最大の米CompuServeの日本版であり、関係者には大きな話題になった。富士通と日商岩井が立ち上げたサービスだ。

当時のパソコン通信は、アスキーネットやPC-VAN(現 BIGLOBE)なる大手も存在したが、草の根BBSなる小さな通信団体が幾つもあった。何か一つに入った記憶があるが、全く内容を覚えていない。

それぞれがフォーラムみたいな集まりで意見交換をする。
今のインターネットと異なり、そこに入会しないと情報交換も何も出来ない閉じた世界だった。

パソコンとモデム、電話回線の向こうに世界が広がった。
しかし、電話回線に接続する時間がそのまま電話料金となるため、気楽にパソコン通信を楽しんだ記憶が全くない。貧乏性な私は最低限だけ接続し、直ぐに回線を切っていた記憶だけ覚えている。

夜11時から朝の8時まで定額制のテレホーダイサービスなるものはあったが、11時を過ぎると、みんながパソコン通信を行い、接続しにくくなった。

この頃は、MS-DOSで動作するフリーソフトが流行り出し、パソコンのフリーソフトをダウンロードするためにだけ加入していたような記憶もある。
確か 今も高い評価の JW_CAD や圧縮解凍プログラム LHA の原点はここから誕生したんじゃなかっただろうか?(これは、私の不確かな内容です)

ソフトを探す時間とダウンロード時間が面倒と思う人も少なくなく(私もその一人)、フロッピーが付いたフリーソフト集が店頭に並んだ。私も手軽なだけに買った。

まだまだ、常時接続・高速通信の時代は到達していなかった。
しかし、インターネットと高速回線が整備され出し、パソコン通信の多くの組織は西暦2000年を迎える前に相次いで撤退していった。

NIFTY SERVEだけは2006年まで頑張り続けたが、既に私はインターネットに完全シフトしていたため、その頃の状況は全く知らない。まさに昭和を感じる文面だ。


当時、ITセミナーの講師をしたことがあった。
「いづれ近いうちに、通信回線は高速になり、24時間誰でも料金を気にせず使える時代が来ます」と、語ったら。
「そんな馬鹿な時代が来るわけないじゃないか」と、言われた。
今でも決して忘れない言葉だ。

030 OS/2 WARP (DOS/V #5)

03 : コンピュータとシステム

1992年頃から1996年頃、Windows95が登場し始める頃、Windows3.1が大きく市場に浸透していく中で、他のOSも頑張っていた。

Linux、Mac OS、OS/2 がそうだ。
コンピュータソフトウェア業界で最前線の知識を確保するためには、LinuxとOS/2は必須の知識だった。
何故か Apple は全く視野に入らなかった。

OS/2

別にAppleが嫌いな訳ではない。Machintoshを買って試そうと思ったことは何度もあった。
しかし、ビジネス的な判断をすれば、どうしても Linux と OS/2 の優先度が高かった。

OS/2 WARPが登場した頃、IBMは MS-Windows打倒を目標に頑張っていた。
もともと OS/2 そのものは IBMがマイクロソフトと共同開発していたOSだったが、Windowsの圧倒的優勢のなか犬猿の関係になっていく。

テレビドラマの名作、「王様のレストラン」のシェフ役の山口智子のCMが懐かしい。
確か「WARPならDOSも動く、Windowsも動く! OS/2 WARP!」的なCMだったと思う。
IBMがパソコン事業から撤退した今では考えられないが、MS-Windowsと別 OSである Windowsもどきの OS/2 WARP がパソコンショップで売られていたのだ。

ちょうどIBM系の会社で仕事をした関係もあり OS/2 WARP のOS環境を触る機会が十分あった。既にWindowsが主流ではあったが、コンピュータの巨人 IBMにも意地があったのだ。


その頃はパソコンのLANさえも一般的でなかった。パソコン同士を結ぶことさえ、それなりの知識と高額な導入費用がかかった。

OS/2

Nobell社のNetwareは有名だった。かつ有力企業だった。

当時、久米さんが登場したニュースステーションにノベル社のNetwareがスポンサーに登場していたほどだ。
そのNetwareを勉強するためだけに、自宅に2台のWindowsPCに2つのLANカードと2つのNetware liteを購入してLAN設定の勉強さえした。

今思えば、向上心は強かったようだ。
今ではWindowsの標準機能で無償でLAN環境は出来てしまうが、当時はオフィスで複数のパソコン同士を繋ぐだけでも高額な費用がかかったのだ。


メインPCのハードディスクをDisk Pack方式にした経験もある。
要はハードディスクを外部から取り換え可能なPCだ。そんなPCは秋葉原のDOS/Vショップブランドに行けば存在した。

3台のDISK PACKは、Windows、Linux、OS/2を入れた。実質PC 1台で3台のOSを実験できた。
ここでもMacは登場しなかった。

OS/2

Linuxを導入したのはこの頃だ。当時のLinuxには幾つもの系列があって、それぞれが特徴を持っていた。
仕事に直結していた理由もあるが、趣味もここまで行けば立派だと我ながら思う。今の自分なら真似が出来ない。


OS/2 WARPも2冊ほどの専門書を購入してOSの深い部分まで勉強したが、結局 WARPはメジャーにならずに消えて行った。
Windowsに似ていたが、やはり使い勝手はWindowsの方が上だった。
NEXTコンピュータも登場していたが、高額すぎて手が出なかった。

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