年末に近づくと『今年も残り少なくなりましたね、1年は あっと言う間ですね』なる決めセリフがある。
12月26日、27日の銀座界隈の風景(以下全て)
この言葉は自分も例外でなく、ついポロリと出る言葉でもある。
しかし、改めて考えてみると、自分が小さな子供の頃には決して言わなかったセリフだ。子供の頃は、1日がたっぷりあった。まして1年間は、とても長い時間に思ったもんだ。
そりゃそうだ。5歳の子供の1年は人生の5分の1だが、50歳の大人の1年は50分の1。そもそも同じ時間でも大人と子供の持つ時間の長さは全然違う。俗に言う、時間の長さは絶対的でなく相対的だ。
とか言い出すと訳の分からないアインシュタインの話になってしまうが。
我々が2年前の話をしたとしても今と大差ないが、子供にとって人生の大きな大きな2年間だ。
子供の頃は毎日が新鮮だ。発見と新しい経験の連続だ。朝起きて寝るまでの1日はたっぷりあった。今は1日はあっと言う間に終わってしまう。日々同じ繰り返し、新しい発見と驚きがないからだ。
大人になっても朝早く起きて旅行に出かけ色々な場所を見て、時計を見ると「まだお昼なの?」と驚いた経験は誰でもあるはずだ。
新しい感動やわくわくする時間を持てば時間は長く感じられる。感動がないとしてもさまざまなイベントを経験することでも同様のはずだ。
逆に辛い経験は時間が非常に長く感じる。とは言っても、こちらは歓迎しない。
誰もが同じ時間を提供されているなら、人生 長く感じるほうが得だ。
さりとて大人になって、毎日同じ仕事をして日々新しい発見や感動を味わえるチャンスなんて殆どない。
来年は、目標を定め自分にタイムリミットを設け、終わり(来年の年末)を意識しながら作業に取り掛かり、来年の今頃は「あっと言う間の1年だった」のセリフを吐かないようにしたい。これは、『今年もさしたることもなかった平凡な1年でした』と、相手に白状するようなものだ。
良い意味での激動の1年にしたい。長い1年だったと思えるようにしたい。
オフィスや自宅など狭い空間に閉じこもって滅茶苦茶自分を酷使しても時間はさほど長く感じられない。やはり可能な限り色々な場所に出向き、多くの人と会うことが充実した時間になるはずだ。
そもそも『来年こそは!』の抱負を述べることはあまり格好良いことではない気がする。今年やり残したことが幾つもあることの裏返しの言葉に思えるからだ。
自分が会社を興した年齢は40歳ちょっと超えてからだ。このときの1年も決して長いと思った訳ではないが、やらねばならないことがやたら多かった。「まだ1年しか経っていないのか」の気持ちが3年は続いた。
これは、覚えること、知らない事、分からない事がやたら多く、不安な日の連続だったからだ。
再度タイトルに戻る。来年は1年が長い長い年にしたい。