今回の全写真は私の癒しの隠れエリア、5月中旬にスマホで撮った風景。のんびりしたい休日は遠出することなく気軽に立ち寄れる。
バブル崩壊は、私が30歳前半の中堅として仕事をバリバリしていた頃だった。まだ経営に何ら関与していなかったが、会社は分割や事業部の統廃合を決行した。今思えばいかに大変だったか容易に理解できる。
そして会社を興して2年後に到来したリーマンショック。会社設立2年目でもありまだ基盤は固まっていなかった頃だ。仕事がなくなった当時は、まるで漂流者のように感じた。
そして2020年、新型コロナウイルスと称する過去に知る最大の波がやってきた。世間が大きく騒ぎ出したのは2月後半、3月、4月、5月、6月、7月・・・まさか これほど長期化するとは誰が予想しただろうか。
リーマンショックは100年に一度の大恐慌と言われた。100年どころか まだ10年しか経過していないじゃないか!(リーマンショックは金融危機だから意味合いが全然異なるが)
日々報道される感染者数。いっこうに収束の気配を感じられない世界状勢を見ていると、もう長期戦は避けられないと観念さえしはじめた。今はどう乗り越えるべきかを思うようになってしまった。
自分にとって唯一の救いは、リーマンショックを経験したことかもしれない。あの時に学んだことを思い出し、悪い行動は控え 良い行動は積極的に活用するつもりだ。こう考えると人生に無駄な経験はないのかもしれない。
とは言え、リーマンショックを超えると言われる経済的ダメージ。いまだかつてない経験をすることになりそうだ。
当時、お客様常駐作業がメイン事業。その案件が全くなくなったのだ。順次引き上げてくる要員。増えるのは技術者の紹介だけ。2008年の秋だったため、その暮れは年越し派遣村なんて言葉が流行った。
当時、2009年4月の新卒者は本当に可哀そうな世代に生まれた。この余波は2~3年以上も影響した。
リーマンショックから10年が経過した、2020年が明けた頃は東京オリンピック到来に非常に経済に活気があった。今年は拡大のチャンスだと。しかし、いきなり不幸は全人類に降りかかってきた。
私がウェブ事業部を起こしたきっかけはリーマンショックの時だ。
リーマンショック時、ウェブサイト制作は敷居が低いこともあり、仕事がないならウェブサイト制作でもやるか・・・から単純な理由から始めた。エンジニア経験があり、音楽やアートをこよなく愛し、デザインに興味があれば、ウェブ制作・ウェブ開発は直ぐに得意分野となった。
儲けなんか一切考えない。 [仕事がないならウェブサイト制作でもやるか] の精神で、ひとつひとつ低単価で丁寧に丁寧に制作した。それが高く認められ次の仕事に繋がった。今では立派な事業の一つとなっている。良い仕事をし、高い評価を頂く。それが会社を大きく出来る絶対条件だと思う。
今回はテレワークなる形態が注目されている。東京オリンピック期間中、都内の通勤通学時間帯の交通網は混雑するためテレワークや時差出勤が推奨された。しかし、なかなか導入は進まなかった。それがいきなり導入を余儀なくされた。
テレワーク、オンライン会議、時差出勤・・・もはや社会の仕組みを根本から見直す必要性が出てきた。
コロナショック時の今年は何に集中するかだ。この歳になって、好きなことに新たに挑戦出来るなんてとても幸せだ。決して開き直りではない、不遇をラッキーな年と出来るか?勿論、既存部門はしっかり守ることは忘れない。