今回の全写真は、2020年11月20日(金)、会社事務関係で出掛けた浅草界隈。コロナ禍で平日の浅草はこんな感じ。翌日から3連休、さて賑わいは戻るか?
2020年は就職戦線が一転してしまった。売り手市場の広き門がいきなり閉ざされた感じだ。
今の自分は偶然ではなく、必然にして存在している。
努力すれば努力した結果が現在の自分だ。
滅茶苦茶努力すれば、その滅茶苦茶努力した結果が現在の自分に跳ね返る。それなりの努力だったら、それなりの結果となる。勿論、何もしなければ馬齢を重ねた現在の自分がそこにいる。
私は滅茶苦茶努力していないから、大きな会社になれていないと思っている。これは本心だ。寝ても覚めても死にも狂いで頑張れるなら、もっともっと大きな会社になれると思う。分かっていることだけど、人はそれがなかなか出来ない。所詮、私も凡人だったってことだ。
勿論、それに運が大きく加味される。努力している人はその運さえも味方にする。
出会いによって更に上のステージに引き上げてくれるのだ。努力していない人は、そんな出会いは巡ってこない。上のステージに引き上げてくれる人は努力した結果の人ばかりだから、努力しない人には声をかけることさえしない。
よって、努力していない人はそのチャンスを逃すことになる。そもそもチャンスさえ気づかない。
努力と言う言葉に馴染まないなら、自分の興味があること好きなことに言葉を置き換えても良い。興味があること好きなことなら膨大な時間を費やせる。
当ブログのどこかの記事に書いたが、スキルの獲得は時間に正比例する。少なくとも私はそう思っている。一定以上を超えるには才能や地頭が必要になるけど、一般人であれば向き合った時間に比例してスキルは獲得される。
一つの疑問が次の疑問となり、いつしか物凄い知識やスキルの自分となる。好きであることが絶対条件だ。少なくとも私は30歳代の頃は言語開発に半端なく興味があった。
今でも興味はあるけど、記憶のスピードが大きく下がった。記憶できないから先に進まない、そのうちじれったくなって技術書を読むことから遠ざかってしまう。(とほほだよ)
色々な挑戦は若い頃しか出来ない。どんどん新しいことを覚えてスキルを身に付けるべきだ。
親がしきりに子供に対して言う説教じみた小言は、大抵の場合は当たっている。
親は当時の自分を思い出して、せめて自分の子供にはそうあって欲しくないと思ってのことだ。
しかし、子供は「うるさいなあ~」としか思わない。
そして、この親の小言が正しかったと知るのは、大抵は親がこの世にいなくなってからになる。あのとき素直に耳を傾けていれば違う人生だっただろうと、後になってから理解する。勿論、私も例外ではない。
あなたがまだ若ければ親は健在なはずだ。たまには口うるさい親の意見に耳を傾けてみよう。
親の発言は、あなたが親の年齢になったときに今の自分に向けて伝えているメッセージだと真摯に受け止めておくべきだ。
親の小言は大抵は当たっている。
常識外れな親もいるが、ここでは世間一般の常識のある親のことを指している。
繰り返すが、この事に気付くのは自分が歳を取って後戻り出来なくなってからだからね。
正直言えば、学歴・特技・スキルなし・資格なしであれば、あなたに与えられるチャンスはそう多くない。
しかし、過去は変えられない。チャンスを掴みたかったら未来に向けて努力するしかない。目標を掲げてそればかり考える。
但し、誤った努力は時間の無駄になる。IT業界であれば最短のルートを教えられる。高度なビジネススキルを身に付けるチャンスが目の前にある。
あとはどれだけ頑張るかになるんだな。