自分とコンピュータ史

194 ザッカバーグとサンドバーグ

2007年頃~2024年頃
フェイスブック(#4/6)

2007~2022年
シェリル・サンドバーグ(#2/2)

ザッカバーグとサンドバーグはクリスマス・パーティーで会っている。

Googleで働くサンドバーグの気持ちは揺れていた。男連中より収益の高い部門を率いているのに、自分は正しく評価されていないことも不満のひとつにあったようだ。Google AdWordsやGoogle AdSenseら高収益部門4,000人を率いていたのがサンドバーグだからね。

サンドバーグは、ザッカバーグと同じ大学を卒業している。彼女が同大学を卒業したとき、ザッカバーグは7歳だ。23歳の経営を知らない若造が率いるfacebookの移籍に周りは疑問を持ったようだし、サンドバーグ自身も [Googleからfacebookなんかに行っても大丈夫かしら?] の戸惑いはあったようだ。

当然他社からCEOのオファーはあったにも関わらず「あの会社(facebook)に行きたくてたまらなかった」と自著「LEAN IN」で語っている。パーティ会場でザッカバーグと1時間以上立ち話をして、自分なら組織をもっと大きく出来ると思ったからだ。

ちなみに2006年、LinkedIn CEOのオファーがあったが、2番目の出産(女の子)のタイミングもあり、断っている。娘が1歳になった頃にも某銀行からオファーがあったが断っている。出来る女は引く手あまただったんだ。


サンドバーグ、2022年に退任 画像:ITmedia NEWS

facebookに移ったサンドバーグは、みごとにfacebookの事業を拡大させている。
ザッカバーグは No.1 で、サンドバーグは No.2 と世間的には言われていたが、幹部連中に優秀な猛者が何人もいたから ずっとNo.2 と称されていたのは並大抵じゃなかったと思う。

facebookでの仕事はプレッシャーの連続で、本当にきつかった。「遣り甲斐があった」と言うべきだろうが、やっぱり「きつかった」としか言いようがない。会社の大半はザッカバーグの指揮の下に動き、エンジニアの深夜労働はあたりまえの文化だった。

サンドバーグが自ら語った言葉だ。あのスーパーウーマンのサンドバーグがきつかったって言うんだからね。
facebook着任すぐに、Google時代の広告の知識や推進力に幹部や社員らは圧倒され、サンドバーグは高く評価されたんだ。実に格好良いよねぇ。

2016年の大統領選、ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプの選挙戦での虚偽報道の対応は、世間の注目を浴びただけに記憶に残っている人も多いと思う。選挙戦の話は、次の投稿とtwitter投稿時に記述する予定。


2021年7月8日、サンバレー会議で 画像:njpwfun.com

余談…

その後のサンドバーグは、女性の社会進出・女性の地位向上の言論と行動を積極的に展開する。
それ自体は素晴らしいことなんだけど、白人・高学歴・超エリートな彼女に、全ての一般女性が支持した訳じゃなかったんだ。

自ら「LEAN IN」で できる女は嫌われる と語っている。
彼女曰く、出来る男は 男にも女にも歓迎されるが、出来る女は 男に敬遠され(もてない)女には厭われる(めんどくさがれる)・・・なるほど。

女性の社会進出を訴えても、皆がサンドバーグみたいな人ばかりじゃない。家政婦を雇えない家庭のほうが多い、理解なき夫だったら?、自分に学歴がなく良い仕事を得られなかったら?、シングルマザーだったら?・・・そんな人は沢山存在する。

サンドバーグが自ら語っている。「卒業時に留学の話もあったが 海外では良い男性が見つかりそうもないと判断し、若く優秀な男性が沢山いるワシントンでの政府関係の仕事に就いた。この作戦はうまくいき、24歳で結婚できた」 しっかり計算しているね😆

しかし、結婚生活はまもなく破綻し、1年後に離婚する。人生を決断するのは、まだ自分は未熟すぎたと反省する。10年程経って、デイブ・ゴールドバーグと会い2004年に結婚する。

相手のゴールドバーグの経歴も凄い、音楽配信サイトを設立するも2001年にYahooへ売却、Yahoo MusicのCOOとGMを務める、夫婦それぞれYahooとGoogleに出勤していたって訳だ 😅 何なんだこの2人は!

「LEAN IN」のあとがき(謝辞)には、夫ゴールドバークに最大の感謝と愛を述べている。
しかし、2015年5月サンドバークは夫と一緒に出掛けた旅先で、夫のゴールドバーグは心臓発作で亡くなってしまうんだ。サンドバーグは悲しみのどん底となり、仕事を続けられないほどになった。その突然の不幸をどう乗り越えるかを描いた「OPTION B」なる本を後日出版する。

自分が描く「OPTION A」から「OPTION B」に強制変更させられ、それを乗り越えると言う内容だ。
デイブ(ゴールドバーク)のことを切々と書いてあり、ゴールドバークのことを全く知らない第3者の私が読んでも「お気の毒に」としか言えない内容ではあった…。それを乗り越え、2022年に再再婚している。

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