1985年~1990年頃
デルコンピュータ(#3/7)
1980年代のデルの販売方法は、まだまだアナログ的だった。1985年頃にパソコン通信が登場し、1980年代後半には広く浸透した頃、デルは真剣にパソコン通信で販売システムを構築出来ないかを考えた。まだインターネットが普及する前だ。

パソコン通信の仕組み
つまりモデム経由で注文を受け付ける方式だ。BBS(注1)を応用しようと考えたんだろう。当時の通信環境を知っているから分かるんだけど、とてもじゃないけど実現不可能だ。通信インフラ未成熟だったから一企業が対応できるレベルを超えている。
時期早々と断念するが、まもなくインターネット時代を迎えると直ぐにFTPサイトを立ち上げる。
FTPサイトとは、簡単に言えば直接ファイルをダウンロードする形式だ。それが発展したものがブラウザで閲覧するウェブサイトってこと。
マニアックで利用範囲が限られることもあってかFTPサイトはあまり効果はなかったようだ。
しかし、いずれネットスケープを用いたブラウザ時代が到来する。(注2)
【関連】061 インターネット先駆けのパソコン通信
グローバル展開

デルコンピュータを設立して僅か2年程の1986年末頃の売上高は、約6,000万ドルに達した。
デルが急成長した理由は、最初から会社を拡大する事業展開を考えていたからだ。まず可能性を考え、それに向かって実行し、それが達成できれば更に目標を高くしていった感じだったんだ。
1992年までに売上10億ドル達成を掲げていたんだから凄い目標だよね。勿論、グローバル展開も考えていた。
アメリカ国内だけでなく、カナダ、イギリス等の欧州らも視野にした。事実 デルUKを1986年に設立し、事業を拡大していくんだ。物凄い実行力だ。
勿論、日本進出も検討するが、日本は我々が進出できる領域を超えていたと素直に告白している。
当時の日本市場は NEC PC98 が完全に国内を独占していたからなんだ。PC98の支配力はとにかく凄かったんだよ。
余剰在庫でビジネスを学ぶ

急成長を遂げるデルコンピュータは、1989年に在庫管理で大きな失敗をする。
会社は急成長していることが災いしたんだ。
これ以上メモリー価格が上がる前に購入しようと、大量のメモリを買えるだけ買った。残念なことに需要予測を完全に読み違えてしまう。
まもなくメモリ市場は256KBから1MBが主流に切り替わった。つまり、価格がピーク時に買えるだけメモリを買ったことになる。需要のない大量のメモリが倉庫に眠ることになる。もはや捨て値で売るしかなくなった。
この影響は会社の成長を一時期大きく鈍化させる深刻な出来事だったようだ。
厳しい在庫管理と物流システム
これ以来、デルコンピュータは在庫管理を最重要課題としている。デルコンピュータの厳しい在庫管理はここに始まっているんだ。
私が国際物流システムで倉庫管理システムを運営管理した頃、取引先のひとつにデルコンピュータがあった。物流って製品をAからBに運ぶ単純な作業に思うかもしれないけど、その輸送条件は実に厳しい。約束の時間(分単位)を守れなかった場合、高額なペナルティを課せられるんだ。

実際、成田ターミナルの保税エリアには何度も出掛けたことがある。製品を国内に持ち込み、時間厳守で大規模倉庫に移動する。理屈はとても単純なんだけど、これが実に厳しく大変なことを知る。
デルは物流・在庫管理の要求が徹底していた。これこそがビジネスなんだと身の引き締まる思いをしたもんだ。
そしてこうも思った「デルって表面はPCの会社だけど、裏面はロジスティックな会社だ」と。
Dell Olympic Projectの失敗で学ぶ
マイケル・デルが教訓とする懐古がもう一つある。
デルはPC製造に留まらず、サーバーなどあらゆる分野にまたがり全てを網羅する最先端プロジェクト構想を立ち上げた。それが「オリンピック」シリーズだった。これは巨大IBMに立ち向かうための意思表示だったんだ。
しかし、市場の評判はイマイチだったんだ。壮大な構想を目指していたデルコンピュータは、自画自賛で終わってしまう。1989年のことだ。
これ、ビジネスをやっていると あるあるだね。自分の思い込みだけで、突っ走ってしまうことが。
メモリー在庫と同じ年でもあり、2重の苦しみを経験する。デルは勇み足を認めオリンピック構想の中止を決断したんだ。
注1:BBS (Bulletin Board System、電子掲示板システム)
注2:1994年6月 WWW.dell.comを立ち上げる


















































