1983年~
1981年、IBMが16ビットパソコンをIBM-PC 5150を発売し、1982年、NEC PC9801が発売され、パソコン市場は活気づいていくわけなんだけど、その翌年1983年にアスキーとマイクロソフトによりMSXパソコン仕様が提唱された。
マイクロソフトの副社長だった西和彦さんは当時かなり有名で、色々なパソコン業界誌に顔写真と一緒に登場し、強い影響力を持っていた。そんな西さんがパソコンの標準規格なるMSXを発表しようと動いた。
ソニー、キャノン、カシオ、松下電器、三菱電機、ヤマハ、日本ビクター、東芝など色々なメーカーが仲間に加わった。
MSX第一号 三菱電機 ML-8000
マイクロソフトの副社長でもあった西さんはマイクロソフトのビル・ゲイツ氏を加え、日本の有名メーカーを多数呼びかけ、世界のパソコン市場を日本が引っ張ろうとしたのだ。つくづくこの頃の日本って力があったよね。
ソニー HitBit HB-55
MSXが登場した理由は、単純に言えば独走状態のNECに対抗するためのものだ。派手な広告や専門雑誌が登場し、前宣伝は凄かったけど、私にはゲーム専用PCの印象が強すぎて、ビジネス的な魅力が感じられず、全く興味がなかった。そもそもビジネスに使用するにはスペック的にはが貧弱すぎた。
KAWAI MSX2 PERSONAL COMPUTER KMC-5000
私には、NECに対応する弱者連合感しかなかった。PCショップ店頭でMSXパソコンを販売をしていた記憶こそ鮮明に覚えているが、店頭のMSXパソコンに一度も触ったことがなかった。売り場フロアを通過するだけだった。
MSXパーフェクトカタログ
詳細はkoPenさんの 「【MSX】懐かしいMSXの誕生~80年代の夢のホビーパソコン~」 が、とても分かり易く纏められています。私が思ったこと以上の内容が書かれています。Atticさんのサイト TimeMachine MSX も当時の色々なMSXが詳細に分かり、もう私が書くことなんか何もない。そもそもMSXパソコンの存在は良く知っていたが、私はスルーした一人だし。
YAMAHA CX7
私は触ったことがないけど、やっぱりヤマハ・・・YAMAHA CX7は音楽に特化したMSXパソコンだった。
私は数年後にDX7とDX7Ⅱと称する鍵盤シンセを2台所有することになるんだけど、その起点を感じさせてくれることを今更になって知った。
デジタルシーケンサー/YAMAHA QX3
YAMAHA QX3は MSXパソコンではありません。上記 YAMAHA CX7と関係するため登場させました。
YAMAHA QX3は1987年に発売され15万円以上もしたけど、DTM(Desk Top Music)がやりたくて薄給な身分ながら購入した(今でも押し入れに完全な美品として眠っている)。
QX3はデジタルシーケンサーでありコンピュータで音を制御する機械、音符を数値化してプログラミングする。もはや完全にコンピュータ機器と言える。YAMAHA DX7やMIDI音源モジュールと結んで音作りを楽しんだ。ちょっと贅沢な趣味だったが…。
ヤマハのデジタル機器はどれもパソコンを加えて音楽を楽しめた訳だ。当時の私はDTMに凝っていて、YAMAHA QX3を始め複数の音源モジュールを含むDTM機器を持っていた。まあ、YMOのような一流どころの足元にも及ばなかったけど。
MSXパソコンの登場時期と重なって、この頃から登場するデジタル楽器群は音が滅茶苦茶クリアで革命的だった。世界の一流ミュージシャンが愛用することで日本のデジタル楽器群(主にキーボード群)は全世界にあっと言う間に広がっていった。
ライブコンサートの定番ピアノ YAMAHA CP80
それまでのキーボードは欧米がリードしていたが、日本の超高性能なデジタルキーボードの登場で、あっと言う間に入れ替わった。他メーカーの製品と比較検討する余地さえなかったのだ。音楽コンサートのキーボードは日本企業のロゴがやたら目についた。(今もそうだけど…)
まさに日本が世界をリードしていた頃だ。