自分とコンピュータ史

061 インターネット先駆けのパソコン通信

1985年頃~2000年頃

1985年から87年にかけてパソコン通信なるサービスがあちこちで開始される。

大手サービスなら、
1985年5月 アスキーネットが試験運用開始
1986年4月 PC-VANが運用開始
1987年4月 ニフティサーブが運用開始

パソコンが広く浸透し始め、通信回線を通じてデータのやり取りを行うものだ。最初は電話回線から始まった。

勿論、当時はアナログ電話回線だ。
電話回線口(モジュラージャック)からモデムとパソコンを接続し、ピーヒャラガリガリ音によるダイヤルアップ接続によるデータ送受信方法だ。要はパソコンのデジタルをアナログに変換し、電話回線を利用してデータを送受信するって訳だ。勿論、扱うデータはテキスト文字だけ。今となっては超低速な通信回線を利用してのデータ送受信だった。

勿論、私もパソコン通信の体験者の一人だ。ニフティサーブの他に草の根ネット(草の根BBS)にも2つほど参加した。

上記は、PC-VANの初期メニューだが、基本は番号を選択して階層を下っていく。

当時は沢山の無料コミュニティーが乱立し、趣味が一致する人たちで構成する一大コミュニティー広場が存在していたようだ。「ようだ」と記すのは、私はディープな世界の住人になれなかったため推測でしかないのだ。回線使用料を減らすため自宅から一番最寄りの電話番号を選び、電話番号を選択し、接続時間を気にしながら少しの期間だけ在籍した。

2つのマイナーな草の根ネットにも参加したが、全く積極的なメンバーではなかった。

大きな理由は、電話回線接続にある。貧乏性の私は通信料が気になって長時間の接続できないのだ。接続しても必要最小分のデータをダウンロードするなりし、回線の長時間使用は極力避けた。

1995年8月からテレホーダイなるサービスが登場した。テレホーダイとは、23時から翌朝の8時までなら幾ら使っても定額制になるサービスのこと。これも一長一短があって自分は活用することはなかった。23時の早い時間は混みあうし、真夜中や明け方のパソコン通信に魅力を全く感じられなかったこともある。

結局、私は超ライトユーザーでしかなかった。
所詮パソコン通信は、インターネットが広く普及するまでの気休めでしかなかった気がする。

インターネットが浸透するにつれパソコン通信ユーザーは減少し、次々にサービスは終了していく。最後まで頑張ったニフティサーブも2006年3月に終了している。ニフティサーブは最盛期に会員数200万人を誇ったパソコン通信の最大手だった。

サービス終了の文字を見た時、ニフティの会員であった私でさえ「終わるんだ・・・ここまでよく頑張ったな」程度の反応しかなかった。

今は昔、こんな時代が確かにあったのだ(しみじみ)。

【関連】109 インターネット黎明期、テレホーダイ登場

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