1984年~
1980年代、日本国内はNEC-PC98シリーズは国民機と揶揄されるほど圧倒的シェアを誇っていた。当時のPCは、そこそこの性能なら40万~80万円は珍しくなく、周辺機器も購入すると100万円近くした。今じゃあ信じられない価格だ。
左側カタログ:PC-9801M2 415,000円
右側カタログ:PC-9801M3 838,000円
例えば上の画像のPC、メモリやHD容量によって価格は大きく変わってくるが、AT互換機が登場する1984年あたりのNEC PC-9801M2は415,000円、PC-9801M3は838,000円だ。うわ~滅茶高い!(注)
初代 IBM PC 5150(1981年) / IBM PC/XT 5160(1983年)
IBMは、1981年 初代IBM-PCなるIBM-PC 5150を発売し、1983年にIBM-PCの機能強化版IBM-PC/XTなるIBM 5160を発売する。
【関連】053 IBM-PC 5150の登場で変わる市場
IBM PC/AT 5170(1984年) / IBM PS/2(1987年)
更に1984年にPC/XTの機能強化版IBM-PC/ATなるIBM 5170を発売した。このIBM-PC/ATこそが世界標準機となり次々にAT互換機が登場しだす。そのIBMの後継がPS/2になる訳だ。
【関連】119 コンピュータ巨大企業IBM
スティーブ・ジョブズで使った年表を再度登場させてみた。年表の1984年あたりから10年間をじっくり眺めると全体が何となく分かってくる。新しいPCの時代に突入することが分かる。そうWindowsの幕開けだ。
もう少し先の話をするなら…
Windowsの幕開けと言っても、初期バージョンのWindowsは動作が重く実用に耐えなかった。さらにはマイクロソフトはWindowsとIBMと一緒にOS/2の開発を進めている。
IBM と マイクロソフト OS年表/クリックで拡大
(2024.01.28 追加)
Windows開発に集中したくても、ビル・ゲイツはOS/2部隊を撤退出来なかった。その理由は、MSがIBMのOS/2から撤退し、WindowsとNT開発へ完全シフトすれば、IBMはMSを敵とみなし報復してくることを恐れたからだ。IBMを敵に回すことは、IBM-PC/AT互換機を販売するメーカーもMSから離れる可能性がある。そのリスクをビル・ゲイツは恐れ、騙し騙しOS/2開発に加わっていたって感じかな。勿論、多額な開発費獲得のメリットもあっただろうけど。
そんな中で1980年代後半にDEC社のVAX OSを開発した伝説のスーパーエンジニア デビット・カトラーをMSに迎い入れNTの開発を任命する。DOS系のWindows部隊、OS/2舞台、NT部隊…とんでもない資源の無駄使いにMS社内からも同時並行は無理だと言われたようだ。しかし、前述のリスクもある。
1990年に登場するWindows3.0の市場評価は市場から支持された、徐々にゲイツの考えが変わっていく。「もうIBMを頼らなくてもやっていける」と。
この最も大切な時期、スティーブ・ジョブズは、自身が迎い入れたジョン・スカリーにアップルを追い出される。アップルの迷走時期に、Windowsは市場を独占することになる。とにかくWindows3.0からwindows95にかけてのWindowsフィーバーは凄かった。これに便乗してPC/AT互換機メーカーの当時の勢いも凄かった。マイクロソフトは一躍ソフトウェア世界第1位の地位を獲得する。
この頃、DBソフトの雄 オラクルの創業者 ラリー・エリソンはソフトウェア世界第2位に君臨している。エリソンは大の親日家で、ステーブ・ジョブズととても仲が良かったんだ。オラクルの創業者エリソンに関しては別の投稿で。
初投稿:2022.12.24
第2版:2024.01.28
アイキャッチ画像:ASCII.jp×デジタル
(注) 出典: PC-9801シリーズ