当ブログの物流システムと自分コンピュータ史は、他の記事とアクセス数の桁が違う。物流システムに至っては、大手物流会社から新人教育の教材の参考イラストに使いたいと、当初は数社の物流企業から使用許可のメールを頂いたこともある。
会社的には、やっぱりアクセス数が期待できる記事を取り扱いたいよね。よって過去の記事を大幅加筆し業界体験談を振り返ろうと思う。
この40年程で、コンピュータ業界は劇的な変化を遂げている。今思えば私が最初に体験した大型汎用機時代は、恐竜が栄えていたような時代だったのかもしれない。当時はPCなんか存在していなかったからコンピュータと言えば企業や組織で使用される大型コンピュータのことだった。この大型コンピュータは大型汎用機とかメインフレームと呼ばれ、汎用コンピュータとかホストコンピュータとか呼ばれた。
1960年代後半から70年代、コンピュータ業界にはIBMと言う巨人が存在していた。当時、IBMを筆頭にユニバック(UNIVAC)・ハネウェル(Honeywell)・GE・CDC・RCA・NCR・バロース(Burroughs)がメインフレームを製造していたが、実質IBM社がコンピュータ市場を独占、圧倒的な王者として君臨していた。「白雪姫(=IBM)と七人の小人たち」と揶揄されるほどIBMの存在は絶大だった。【注】
System/360 Model 30 1964:当時最下位機種 (※01)
米国コンピュータメーカーの出荷高(1967年)の比較 (※02)
私が1980年代前半に新社会人として入社した会社は、大手独立系ソフトウェア会社だった。大型汎用機に「超」がつく、超大型汎用機を所有していた。まさに1980年代はメインフレーム全盛期だったと言える。
空調の効いたマシン室には、大きな冷蔵庫のような筐体が複数台並んでいる。くるくる回る磁気テープ装置が何台もある。複数のプリンターは休むことなく出力されていた。そんな広いマシンルームの裏側に申し訳なさそうにオフコンらしきマシンも置いてあった。
コンピュータを何も知らない人間がこんな訳の分からない業界にいきなり迷い込んだのだ。会社は2台の超大型汎用機を持っていた(後で知ることだが1ヶ月のレンタル代だけで数億になることを知る)。バロース社製の超大型メインフレームと日立製の超大型メインフレームだ。
その両方を使い分けて日々プログラムを組んでいた。当時のプログラミング作業は、現在のプログラミング手法と大きく異なる。そもそも机上にコンピュータなんか存在していない。こんな全くの業界未経験だった人間がどうやってこの業界を生きてきたのかって? まあ、知らない人には不思議な不思議な世界を綴ってゆきましょう。まさに私の個人史になります。
【注】BUNCH(バンチ)とも称された・・・B:バロース、U:ユニバック、N:NCR、C:CDC、H:ハネウェルの5社をつなぎ合わせた造語。これに非専門メーカーのGEとRCAが加えた7社とIBMの計8社が存在した。但し、IBMの1社だけで市場の7割を制していた。(「IBMを震え上がらせた男」 著:柏原久 かんき出版 168頁)
【引用】
※01:汎用コンピュータ(メインフレーム)の歴史
※02:IBMと七人の小人たち