1974年頃から~現在
前回、西和彦さんのことに触れているので、追加情報を記しておきます。
西和彦、ビル・ゲイツと出会う
私くらいの年代でないと、西さんが大活躍したことをあまり知らないと思う。PC関係で日本人なら西さんの名前は知っておいて欲しい。間違いなく日本のパソコン黎明期を推進した人物だからだ。
「西和彦 反省記」が 2020年9月にダイヤモンド社から発売された。
マイコン、パソコン黎明時代が良く分かる、ビル・ゲイツとの関係も良く分かる。非常に面白い本だ。活字が大きく読みやすく、休日に購入したこともあり450ページを1日で一気に読んでしまった。数時間読み続けると流石に目が疲れ、天気が良かったこともあり、途中から近くの公園に出かけベンチに座って読み込んだ。後半は目の痛さに悩まされながらも内容が非常に面白く読み切ってしまった・・・そんな記憶の残る本だ。
アルテア8800(本文へジャンプします)
1971年、4bitながら電卓用に開発されたインテル社の世界初のマイクロプロセッサ[4004]が登場、1974年には8bit[8080]が登場、この[8080]を利用してMIT社が「アルテア8800」を発売。ある人物が「アルテア8800」を動作させるための敷居の高いアセンブラ言語でなく、わずかメモリー容量4キロバイトに収まるように8週間でBASICで書き上げMIT社へ売り込んだ。その人物がビル・ゲイツとポール・アレンだった。今更ながら改めて天才と感じた。
【過去の関係記事】
042 インテル4004と電卓のビジコン社
055 MSXパソコンの登場
西さんは大学の図書館の雑誌でこのことを知り、何とビル・ゲイツに電話番号を知らずに国際電話をかけた。電話オペレーターに繋がって、心当たりのある地名とビル・ゲイツの名前を伝えると何と繋がったとか。1度目は留守で2度目に直接本人が出たと言う。嘘みたいな話だ。
そこでアメリカに出かけてゲイツと会って、30分の約束が6時間くらい話したらしい。すっかりゲイツと意気投合してそこから快進撃が続くことになる。
私が西さんを知るのは快進撃をしはじめた頃から。西さんの名前はPC業界では広く知られた。本にも書いてあるが、西さんはソフトウェアだけでなくコンピュータをつくることにも興味があったが、ゲイツはあくまでもソフトウェアに関心があった。
NEC-PC-8800 / 日立 BASIC MASTER L3
沖電気 IF800 / EPSON HC-20
上記のカタログの製品は、西さんかPCの企画立ち上げに関与したものだ。
NEC-PC「PC-8800」 / 日立PC「BASIC MASTER L3」 / 沖電気PC「IF800」 / IBM PC「5510」 / EPSON「HC-20」 / 京セラOEM「Tandy M100」「NEC8201」「オリベッティM10」 [西和彦 反省記 P135より]
「反省記」を読んで、当時の壮絶な仕事ぶりを始めて知ることになる。昼も夜もない本当に壮絶な日々だ。う~ん大した人物だ。もっとも会社を創業した最初って、殆どの人は昼夜なく働くものだ。
ビル・ゲイツ、IBMのDOS開発に着手
IBMは16bit PCを作ろうとしていたが、PC用のOSを持っていなかった。内製化するには膨大な時間がかかる。そこで外部調達を考えた。そこでマイクロソフトにも打診があった。
しかし、マイクロソフトも16bit用のOSを持っていなかった。期間は3か月【注1】、その短期間でOSを作れるか? だ。またとないビッグチャンスだ。
「やるべきだ!絶対にやるべきだ!」 [西和彦 反省記 P162より引用]
「MS-DOSエンサイクロペディア」の原本では「Got to do it,Got to do it」と西和彦が部屋中飛び回って叫んだ。邦訳では「絶対にやるべきだ」となっている。ともかく積極的にやろうと言ったのは西和彦であったのは間違いない。[ビル・ゲイツⅠ/脇英世 著 P174]
キルドールのCP/M との攻防の経緯は夢中に読みこんでしまう内容だ。あまり乗る気のなかったゲイツを西さんの強い後押しで しぶしぶ決断を下した感じだ。しかし、あの時 IBMがマイクロソフトのMS-DOSの開発を採用しなかったら今のマイクロソフト帝国は存在していなかった可能性は十分にある。
本の前半の西さんとビル・ゲイツのマイクロソフト設立当初が非常に面白い。改めてゲイツの聡明さを認識することもできた。ちなみに [反省記 P223] 西さんはスティーブ・ジョブズからスカウトされていたことが記されている。一度だけでなく NeXT になってからも言われたらしい。
詳しくは、書籍「西和彦 反省記」に書かれてある。パソコン黎明期を知りたい人には非常に面白い本だ。
【注1】書籍「ビル・ゲイツ ハードドライブ」には、興奮と睡眠不足の中 ギリギリまで報告書を作成し、IBMとの交渉のため ゲイツ、バルマー、オリア(プログラマ)3人はマイアミに向かった。報告書の幾つかは西さんも加わっており「西式英語」は色々手を加えなければいけなかった。時間がないため紙に印刷して、マイアミ行きの機上でチェックを行ったとか・・・限界ギリギリまで頑張った様子が描かれている。読んでいても興奮してしまう内容だ。とても面白い。
【関連】157 ビル・ゲイツ未来を語る