私が社会人になって「大型機汎用機の全盛時代」を感じた期間は10年を満たない。
「大型汎用機でCOBOL言語をマスターすれば、一生飯を食うのに困らない」当時は定説だった。私も疑わなかった。
それほど当時はコンピュータでシステム設計してプログラムコードを書けると言うことは、物凄い需要があった。そもそも大型汎用機に触りたくても触れない人の方が殆どだったに違いない。
需要があったため仕事量はとにかく多い、不夜城に近い職場で2年間過ごした。
プログラムにはミスはある。大きなプロジェクトの一員としてトラブルを抱えた時は、徹夜したその日も徹夜したこともあった。さすがに3日目になると、思考回路は壊滅状態、数時間仮眠し仕事を繰り返した。
会社のフロアで寝た。10日間ほど続いた記憶がある。この状況で生産性なんか皆無だ。
それでもやらなければいけない状況はよほどの理由があったのだろう。社会人1~2年生にして社会の厳しさを知った。
当時の大型汎用機の価格帯を載せる。見ての通り、億単位の価格が平気で並ぶ世界なのだ。
おまけにこれらのSE/プログラマ単価はかなり高額だ。
一緒に主記憶の容量も見て欲しい、メモリ256MB、拡張しても8GBの数字に目を疑うはずだ。
これは一例だ。全てのマシンのスペックは目を疑うものばかりだ。空調の効いた専用ルームを設置し、外部記憶装置やさまざまな通信機器が並んでいたものだ。
大型汎用機の性能向上とそれと連動してオフコンが多数登場し始める。
更にサンマイクロシステムズらのUNIXワークステーションが登場し、RISCプロセッサ搭載のワークステーションサーバーが次々と市場に登場することになる。
そう考えれば、全盛期はせいぜい10年程度で移り変わっていく気がする。