1978年~
80年代初頭の新入社員時代、数行の対外文書を渡すため 文書作成できる部署に依頼したことがあった。大きな会社だったが文書作成するワードプロセッサーはそこしか置いてなかった、その部署にお願いした。
俗に今のワープロだ。活字にお願いしたのはたった数行だった。
依頼して手にした文書はタイプミスをしていた。指摘して直して貰うとまた違う個所でミス。たった数行の訂正に部署間を数回往復したことがある。何でこんな簡単なことを何回もミスするんだ!と怒りはなかったが、間抜けな女子社員に呆れた。私が新人だった頃の忘れない出来事だ。
かなり前の話になるが、NHK「プロジェクトX挑戦者たち」なる番組があった。そこに「運命の最終テスト ワープロ 日本語に挑んだ若者たち」なる放送があった。
森健一さんは東芝で日本語ワードプロセッサーを開発した人で、私でも名前だけは良く知っている。この業界に在籍していれば、モリケンさんを知る人は少なくない。
アイキャッチ画像は、1978年 日本初のワードプロセッサー 東芝JW-10 トスワード。価格は驚きの630万円、当時の東芝の汎用機のCPUを利用していた。当時としては画期的製品で当時のミッドレンジコンピューターとプリンターを使えば2000万円はする。即ちこの価格でも決して高くなかったようだ。
簡単にプロジェクトXの口調で記載する。
欧米人は26文字のアルファベットを駆使して、タイプライターで契約書を作る。
かたや日本語は48文字のひらがなと5万語の漢字がそこにそびえ立った。
高度成長期時代の日本、企業間取引の契約書の作成に手書きって訳にはいかない。しかし、当時は和文タイプの出来る人は少数だった。そこで、森健一さん達がワープロ作成に挑戦するというストーリーだ。
オリベッティ 英字 カタカナタイプライター
(1) 当初、伊藤忠商事らが カタカナのタイプライター を使用していた。
しかし、文章がカタカナだけだと問題も多い。第一読みづらくて仕方ない。
「カテイノモンダイ」→家庭、課程、仮定 いったいどれなのか分からない。
文章の前後で推測するしかなかった。
(2) パネルに漢字一覧表を作成し、それを選ぶ 漢字テレックス も試作した。
さらに2500個の漢字を5mm角のマス目に埋めて、それをペンでタッチする方式も取り入れた。
しかし、5mm角のマス目を選択するのは間違いも多く とても使い物にならなかった。
(3) どこの企業もさじを投げた。
考えて考えた末に、ひらがなで入力して漢字に変換する方式を採用することとなった。
ポイントは辞書だった。日本語は同音異義語が多過ぎる。
当時のコンピュータの性能では、文章の意味を理解して漢字を選ぶことは不可能だった。
(4) 辞書も膨大で、記憶装置がタンス4個分になったと言う。
かんきょうおせん→かん(80種類の同音異義語)きょう(50種類)お(15種類)せん(60種類)
この組み合わせだけでも360万通りになる。変換スピードに20秒かかった。これじゃあ実用にならない。
しかし、彼らはこれを3秒に縮めることに成功した。解決方法は技術的な内容ではなかった。(続く)