1974年から2~3年
1974年、この時代は 8080が登場し、数ヶ月遅れてモトローラMC6800が登場する。PCの前身が出来つつある頃だ。パーソナルコンピュータの歴史に名を遺す天才たちが沢山登場し、彼らはいづれこれらがビジネスになると夢に描いていたはずだ。その中にはビルゲイツとスティーブジョブスらの名前も登場する。
1975年、8080を搭載したアルテア8800がMITS社から発売された。ビルゲイツとポールアレンは、アルテア8800にBASICを搭載させる。BASICはMITS社に認められアルテア8800に導入されることとなった。この年にビルゲイツはマイクロソフト社を創業する。
1995年に発売された「ビル・ゲイツ未来を語る」364頁に、こんな文章がある。
アルテアの最初の1台の写真を目にしたとき、ポール・アレンと私は、さぞかし色々なアプリケーションが出来るだろうと思ったが、それがどんなものになるは確信が持てなかった。もちろん、パソコンをメインフレームの端末として機能させるプログラムなど、予測可能なものも多少はあった。しかし、ビジカルクをはじめとする、とりわけ重要なアプリケーションの登場はふたりの予想を超えていた。
AppleⅠ(1976/Wikipedia)
この頃、スティーブウォズニアックとスティーブジョブズは、筐体もキーボードもディスプレイも無いワンボードマシンアップルⅠを発売している。アップルⅠとアルテア8800とは見た目も異なるが購入比較されたようだ。
AppleⅡ(1977)
1976年、アップルⅠ発売により需要があることを知ったジョブスやウォズニアックはアップル社を創業する。翌年の1977年にはアップルⅡを発売する。筐体の無いアップルⅠと異なり、現在のパソコンにかなり近づいている。アップルⅡは性能を向上しながら1983年まで売れ続けた。
ゲイツのソフト路線とジョブスのハード路線は非なる戦略ではあったが、ウインドウズとマックは市場に躍り出ることとなる。
NEC TK-80(1976)
アメリカだけでなく日本国内もマイコンBASICやマイコンキットがNECや富士通、日立などから発売し始める。
写真は NEC TK-80(1976年) μPD8080 CPU(8080互換)のワンボードマイコンだ。
050 国内本格的パソコンの登場 につづく