1991年 フィンランドのリーナス氏がUNIXを手本にLinuxのカーネルを開発し無償提供した。正確に言うと、UNIXを手本にアンドリュー・タネンバウムが教育を目的にMINIX(ミニックス)を開発した。そのMINIXを手本にリーナス・トーバルズがゼロから開発したものがLinuxなのだ。タネンバウムはリーナスが開発したLinuxの設計は時代遅れだと批判し、ちょっとした論争が起きている。
どちらにしても、AT&Tのベル研究所で生まれたUNIXを手本に作られているものなので、見た目は同じだ。と、言うよりUNIXそのものだ。まあ、そんな細かな歴史的な箇所は省略する。
サーバーOSとLinuxディストリビューション
表は、当ブログの[006 レガシーシステムを再構築(#2/2)]で掲載したもの。LinuxはOSのコアであり単体では動作せず、いろいろな機能を組み合わせて提供されている。その提供側をディストリビューションと呼ぶ。個人的にディストリビューションは「配送、 流通」の意味なので分かり難い、もう少ししっくりする単語にして欲しかったな。
Linuxディストリビューションは、RedHat系、Debian系、Slackware系の大きく3系がある。更にRedHat系の中にCentOS系が存在するように その系統は細分される。
いろいろなディストリビューション
Linuxが話題になった頃、開発者のリーナス氏【注】はペンギン好きと言うことで、ペンギンキャラクターを沢山見かけた。今こうして眺めると、Linux誕生直後から生き残っているディストリビューションもあれば、全く知らないものまである。当時 数種類のディストリビューションをインストールして、意味もなくGUIを楽しんだもんだ。
経験的に言えば、年齢を重ねるほど、別の忙しさが増えて こうしたことが全く出来なくなる。若いうちに時間を割いてでも色々なことを挑戦することを強く強くお勧めします。(しみじみ…正直後悔もあるんだな)
レッドハットとIBM
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こちらの図は、[004 大型汎用機の新たな道]で掲載したもの。現みづほ銀行のハード構成だ。(「みづほ銀行システム統合、苦闘の19年史」日経BP社発行の資料を私が若干アレンジしています)
IBMは2018年 Red Hatを買収している。表中のOS欄の RHEL(レル)とは Red Hat Enterprise Linux のこと。IBMはこの技術をメイン事業に組み込んでいる。RHELはLinuxであり、主要言語はJava、俗にいうオープンシステムで構築されている。日立製作所や富士通の名前があってもOSはRHELばかり。要はz/OSもRHELもIBM社の資産であり、日立製作所も富士通もIBMから供給を受けているってことだ。
脇先生の書籍「LINUXがWindowsを超える日」(1999年)の53頁によると、もともとIBMで働いていたマーク・エピングが29歳の頃(1994年)に開発し始めている。そこに商魂たくましいロバート・ヤングが目をつけ、一緒にやらないかと打診してきた。アップルのウォズニアックとジョブズのようなもんだ。開発者とマーケット担当の2輪だと事業は拡大する。
ロバート・ヤングは1998年頃から次々と出資会社を集めていった。インテル、ネットスケープ、コンパック、IBM、オラクル、SAP、HP、ノベルなどがそうだ。企業名だけみても凄いことが起こりそうだと感じ取れる。当然、マイクロソフトは戦々恐々としただろう。
ターボ リナックス
レッドハットとともに日本で非常に売れたディストリビューションがターボ リナックスだ。当時販売されていたLinux関係の雑誌でも Turbo Linux の文字はやたら目についた。本拠米国でも最大のセールス重要国は日本だとしていたようだ。
【注】Linuxを公開したリーナス・トーバルズ氏は当時大学生だった。コンピュータ誌は 愛くるしいペンギンのキャラクターとリーナス氏の顔写真を掲載し派手に紹介していた。当時の私は、大学生であった彼をリーナス君と愛称込めて勝手に思っていたもんだ。その頃の影響から、今でも「Linux=リーナス君」とついイメージしてしまう。いつの頃かリーナス氏を神と崇める若者も出て、彼を天才と記す記事も目にしたりするが、う~ん確かに凄い人物だけど、ちょっとイメージは違うかなあ…。
Linuxがここまでになったのは、彼の控えめな人間性が大きく関係している。無償でソースを提供し、その考えに世界中の仲間が賛同し、惜しみない協力をしたことに尽きる。