1984年~
日本語ワープロの産みの親、モリケンさんこと森健一さん。そしてもう一人「健」の名前のつく日本のヒーローがいる。世界のOSになったかもしれないトロン(TRON)の産みの親の坂村健さんだ。
OSと言えば、Dos、Windows、UNIXやLinux、MacOS、Androidなどが挙がるけど、ひょっとしてひょっとしたら日本発のOSが世界を席巻したかもしれなかったのだ。
誰でも使用できるオープンなOS、坂村先生は「どこでもコンピュータ」と詠って、今で言う IoT(Internet of Things)を描いていた。
この業界用語であるIoTはどうも個人的にしっくりこない。シスコシステムズがしきりに言っていたIoE(Internet of Everything)のほうが断然分かり易い。なんたって Internet of Everything なんだからね。何でもインターネットに繋げようの発想がイメージ出来る。
TRONには、I-TRON/B-TRON/C-TRONなどがあって、とりわけB-TRON(Business TRON)は、パソコンのOSに相当するものだった。
当時、コンピュータに関心がある人だったら、当時のトロン報道が記憶にあるかもしれない。テレビや専門雑誌で特集された。何より日本OSが世界をリードすることが話題となり未来に夢膨らませたもんだ。
2003年4月15日放送
1984年5月 東京のコンピュータ国際会議で坂村先生がトロンなるOSを提唱する。驚くことに仕様書を世界に無料公開すると言うのだ。国もトロンに理解を示し、国内メーカーは勿論、世界メーカーもトロンプロジェクトに参加する。
1987年 各メーカーから試作機が完成。文部省はB-TRONを学校教育に導入することを決める。国の音頭もあって松下電器、日立、富士通、三菱電機、日本電気ら国内メーカーも参画した。日本電気は国内のPCを独占していたため難色を示していたが、MS-DOSとTRONを両方推進することで参加したようだ。
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何故、こんなに話題になったトロンは日の目を見なかったのか?
当時、日本はバブル絶頂期でありアメリカに次ぐ世界2位の経済大国だった。これがマズかった。
貿易赤字に苦しむアメリカは貿易障壁リストにトロンの名称を加えたのだ。もし、日本がトロン搭載のPCを全国の小中学校に導入したら、もはやマイクロソフトら米国企業は日本に参入することが出来なくなると判断した。1989年のスーパー301条ってやつだ。
もし、あのままTRON PROJECTが着実に進んでいたら、日本はアメリカと供に世界をリードする2大コンピュータ帝国になっていた可能性があった。TRON搭載のPCが世界に進出したかもしれなかったのだ。
日本経済新聞 円の市場最高値 1時79円75銭(写真元)
アメリカは世界1位の市場だ。報復関税・輸入制限をちらつかされては、TRON参画を表明していた各社はTRON PROJECTから撤退するしかなかった。
要はアメリカにTRON PROJECTは潰されたのだ。
勿論、坂村先生は「トロンはアメリカの不利益にならない」とアメリカの通商代表部と交渉を行っている。1年後に制裁対象から外されるが、既に日本国内はWindows95が浸透した後だ。アメリカは、もう大丈夫だと判断しての制裁解除だ。
西 和彦「反省記」の353頁に、それを連想するような記載がある。西さんはビル・ゲイツと喧嘩別れし、半導体事業に進出するも最終的に手を引く。アメリカと言う国家が怖くなったからだと言う。
西さんいわく、IBM、インテル、マイクロソフト、シスコなどは、アメリカという国家が絶対に潰さない企業だ。西さんの場合はインテルに対抗しようとする訳だが、これはアメリカに対抗することを意味し、その恐ろしさに気づいたとき血の気が引いたとか。いろいろ圧力があったんだと思う。
1985年8月12日19時頃、日航機123便墜落事故があった。群馬県山奥(御巣鷹の尾根)で消息不明となった。テレビが一斉に特番報道となった。次第に日が暮れだし捜索は難航した。状況が分からないまま朝を向かえることになる。直接関係のない私でさえ、何とも気持ちの悪い一夜だった。
その便にTRON関係者が乗っていたらしいなんて噂がたった。確かに松下電器の技術者が数人乗っていたようだが、TRON関係者だったのかとなるとちょっと首をかしげる。都市伝説だと思う。
NHK プロジェクトXより
そんなことがあっても、坂村先生を中心に技術者はトロンの再起を図るのだ。
物づくりの日本の名誉にかけて I-TRON(Industrial TRON)は、見事復活している。
I-TRONは制御系OS・産業用OSとして、人工衛星・エアコン・カメラ・クルマ・プリンター・工作機器・制御機器などに広く導入される。組込OSのシェアも世界6割らしい。
話が前後するが、TRON PROJECTの当時を振り返って、2014年 日経産業新聞に坂村先生は記事を書いている。そこにソフトバンクの孫さんらしき人が登場してくる・・・坂村先生は紳士だから孫さんを決して批判していないが、何となく文面に恨みっぽい不満が感じられた。
TRONが中止になった経緯が書いてある 1999年8月
実は、孫さんの書籍「孫正義 起業の若き獅子」の285頁から294頁にTRON潰しの経緯を詳細に書いてある。孫さんはTRONなるものを否定し、通産省を敵に回して出入り禁止となる。
今でもこの本は自分の本棚に置いてある。起業を志す人にとって胸を熱くするバイブルだからだ。本が出版されるまで、孫さんがTRON PROJECTに強く反対していたことを全く知らなかった。TRONの蔓延を水際で阻止出来たと書いてある。それも少々得意げに書いているのが気になるところ。
起業家の孫さんを強く尊敬する私だが、このTRONに関する行動はちょっと違う。マイクロソフトと別の領域でOS帝国が日本に誕生したかもしれないんだから。とても残念だな。
それとも孫さんの考えは、阻止することが日本の発展に繋がると確信していたのかな?確かに国がトロンを推進したら、国内のWindowsのシェアは大幅に遅れるだろう。ひょっとして携帯電話のようにガラパゴス化したかもしれない・・・これは誰にも分からない。
I-TRONは現在も活躍しているが、TRONはもっとメジャーであっても良いと思うのは私だけではないはずだ。