自分とコンピュータ史

111 ブラウザの元祖モザイク

111 ブラウザ戦争(その1)
1994年頃から1998年頃まで

ブラウザ戦争なる言葉を定義するならWindows95の時代になるだろう。まずNetscape Navigatorの経緯を記さないと話が進まない。

以前に記した 108 ネットスケープナビゲーター を繰り返すが、イリノイ大学のNCSAのマーク・アンドリーセンがNCSA Mosaicなるブラウザを開発し1993年にリリースする。NCSAモザイクはネット経由で広まり、モザイクの開発はイリノイ大学のNCSAで行われ、著作権もそこにあった。最初はXウインドウ向けだったが、ウインドウズ、マックへと移植されていった。


NCSA MOSAIC(画像:Wikipedia)

マーク・アンドリーセンはNCSAと決別し、その後ジム・クラーク(シリコン・グラフィックスの創業者、ターミネーターⅡの特殊効果やジュラシック・パークの恐竜たちはここで誕生している)とモザイク・コミュニケーションズを1994年に立ち上げた。但し、MOSAICの名称にNCSAに抗議され、直ぐネットスケープコミュニケーションズに社名変更。

Mosaicは色々な会社からライセンス交渉が来るため、NCSAはイリノイ大学の卒業生が創業したスパイグラス社(Spyglass)にライセンス契約を与えた。(らしい…)


Mosiac Netscape 0.9 beta (画像:※1)

当時は単純なサイト表示だったが、ビル・ゲイツがブラウザの重要性を知った時のNetscape Navigatorは既に圧倒的なシェアを誇っていた。ゲイツはNetscape Navigatorなるブラウザの市場独占を異常に恐れた。マイクロソフトの牙城を寝食される可能性があるからだ。

しかし、ブラウザをゼロから開発しては とてもWindows95の出荷に間に合わない。そのためモザイクのソースコードをマイクロソフトは欲しがった。そのモザイクのライセンス窓口がスパイグラス社だ。マイクロソフトはスパイグラス社に交渉するしかなかった。


ビル・ゲイツⅠとⅡ 脇 英世 著

「ビル・ゲイツⅡ 脇 英世 著」の354頁に詳細が記されていた。ビル・ゲイツの書籍はスティーブ・ジョブズの本と異なりパソコンの歴史と重なるため、書籍タイトル「ビル・ゲイツ」と言うよりはマイクロソフトの歴史であり業界全体の歴史と非常に強くリンクしている。あちこちに付箋を付けて読み進めた。

文面が長くなるので要約すると、
スパイグラスとマイクロソフトの交渉は難航した。マイクロソフトはWindows95用としてのみNCSAモザイクに関心がある、1回限りの低金額での買い切りを出張、自前のブラウザを開発する検討がある、スパイグラス社以外にも交渉相手はある・・・と相手を揺さぶった。交渉は長引いた。
 ~ 中略 ~
1994年12月9日、マイクロソフトはスパイグラス社からWindows95とWindowsNT用にNCSAモザイクのコードのライセンス権を200万ドルで購入することに合意した。
 ~ 中略 ~
ここでNCSA Mosaicのソースコードをベースに、Windows95の発売に向けてインターネット・エクスプローラー1.0の開発が急ピッチで始まった。


Internet Explorer 1.0(画像:Wikipedia)

同書の406頁あたりに更なる攻防戦が記されている。これも文面が長くなるので要約すると、
1994年12月のスパイグラス社との契約では、モザイクのソースコードを使用できるのはWindows95とWindowsNTだけだった。これではNetscape Navigatorと比較すると分が悪い。Windows3.1やMacにもブラウザが必要だった。
マイクロソフトは、ここでも一回限りの買取を希望したが、相手は1本当たりのロイヤリティを主張して譲らなかった。ゲイツは主張を飲んだが、ロイヤリティの上限を認めさせることに成功し、ようやくWindows3.1やMacにもIEを提供できるようになる。

脇先生のこの本はとてもエキサイティングだ。この攻防戦はまだまだ続く(次回へ)

余談だが、当時 マイクロソフトの社長、古川さんも成毛さんも脇さんのことを「先生」と呼んでいた。脇英世さんはコンピュータ内部を含めて非常に詳しく、私の業界の憧れの人だった。


※1:In Pictures: A visual history of Netscape Navigator

ピックアップ記事

  1. 051 うたかたの8ビットパソコン
  2. 056 ファミコン登場!
  3. 134 インチュイット と 弥生会計
  4. 060 トロン 日本国産OSが世界を狙う!
  5. 059 マッキントッシュ誕生!

関連記事

  1. 自分とコンピュータ史

    063 死語となった日本語FEP

    1984年頃~日本語FEPはMS-DOS時代を経験した人なら知…

  2. 自分とコンピュータ史

    183 グーグル、シェリル・サンドバーグと出産

    2001年~2007年シェリル・サンドバーグ(#1/2)以…

  3. 自分とコンピュータ史

    106 さようなら NEC PC98

    1994年頃~98年NECはさまざまな手段で、PC国民機の意地…

  4. 自分とコンピュータ史

    079 MS-DOSの国内データベース王者、桐

    1989年~1997年頃某大手信販会社で20~25名(ピーク時…

  5. 自分とコンピュータ史

    045 興味深いワープロの誕生秘話(1/2)

    1978年~80年代初頭の新入社員時代、数行の対外文書を渡すた…

  6. 自分とコンピュータ史

    017 磁気テープからCMT

    昔のコンピュータルームのイメージは磁気テープがクルクル回っているイ…

カテゴリー

OMかっちゃん徒然ブログ

OM社長 徒然ブログ

業界回想記事

資料編

私的業界記事

私的感慨深い記事

歴史的記事

PAGE TOP