1991年~
DOS/Vが国内で広まっていくには大きな問題があった。
当時のNECのPC98国内シェアは物凄く、8割近くに及んでいた。その頃の私はシステム開発の仕事をしていた関係もあり、IBMや富士通メインフレームメーカーが出しているPCを使う機会が多かったが、巷は圧倒的にNEC PC98だった。
いくらDOS/Vが話題に取り上げられ優位性を強調しても、まともにビジネス商戦を行ったらPC98には勝てなかったと思う。それほど当時のNEC PC98シリーズの市場影響力は凄かった。
このため、集まったのがOADGだ。日本IBMが中心になって、PCメーカーやソフトウェア企業、周辺機器企業が参加した。DOS/V関連企業が、お互いライバル視していてもPC98の牙城は崩せないと思ったからだ。
上部にOADGの文字が見える
日本でのPC標準化に向けての団体だったが、行動がDOS/V推進を目指すように見えたため、私はDOS/V推進団体だとずっと思っていた。当初 OADGは弱者連合と言われていたが、Windowsのタイミングと重なって見事に任務を果たした。
面白いのは、今やPC市場を撤退した日本IBM が AT互換機各社メーカーや周辺機器メーカーを呼び込んで、真剣に日本のPC普及に貢献したことだ。
1992年8月 26社
国内企業や日本法人のある企業しか加入できなかった。このためショップブランドPCは参加出来なかったし、加盟していない有名優良企業は幾つもあった、コンパックやゲートウェイ、パッカードベルも加盟していなかった。
OADG:PCオープンアーキテクチャ推進協議会(Open Architecture Developers Group)
DOS/Vマシン 購入ガイドブック 野田祐巳 著 P144 より引用。