1984年~日本のインターネットの父/村井 純
村井 純さんは、日本のインターネットの父と称されるインターネットの先駆者だ。2020年 内閣官房参与として日本のIT発展のために貢献、2021年 デジタル庁の顧問に就任されている。
何か凄いのかと言うと、村井 純 と検索すれば簡単に功績が分かる。
有名な出来事は、1984年 慶応大学と東工大のミッドレンジコンピュータをネットワークで繋げたこと。東工大で勤務していた頃、「慶応大に送りたいデータが磁気テープで送らなければいけないのが面倒だったから」とのことらしい。
私も初めて知ったことなんだけど、Wikpediaの情報では双方の大学に許可を得ずに接続しちゃったらしい。ええっ!大丈夫なの?
これが日本のインターネットの誕生と言われ、日本のインターネットの父と称されるようになった。その後、多数の大学や企業が加わり学術研究されている。
その後に村井 純さんがインタビューで語った「当時、電電公社の専権のはずだった通信の分野を、民間の、しかも私のような若い研究者がやった。やっちゃいけない感がすごかったですね」が非常に印象的だ。
両大学がUNIXだったこと、モデムをどこからか拝借してきて、電話回線を使って UNIXのファイル転送機能を使ったら繋がっちゃった・・・と言うわけだ。勿論、誰でも出来るはずはないけど、電電公社以外で通信事業の許可を得ないでやったらまずいんじゃないの?となる訳だ。要は前例がなかったのだ。
ネットワーク上で日本語が使えるようになったのも、村井 純さんが大きく関与している。誤解を恐れず記載すればJISコードだな。日本のインターネットの起源と称されるJUNET(ジェイ ユウ ネット、Japan University NETwork)に使用された。
これだけ凄い人なのに、何であまり有名じゃないんだろう。
対談:慶応大学:インタビュー:村井純教授
画像:日経ビジネス/村井インターネットなど各種雑誌紹介より