1986年~
マイクロソフトのMultiPlan(米1982) とロータス社のLotus123(米1983)は、かって超有名な表計算ソフトだった。
当業界に在籍したおかげもあって、日本初版のマルチプラン 2.0(1986年2月)とロータス1-2-3 R2J(1986年9月)の2つの初期バージョンを試す機会があった。
表計算の誕生は、AppleⅡ(8bit)向けに発売されたVisiCalc(1979)と言われるが、私はVisiCalcを見たことも触ったこともない。
しかし、Microsoft Multiplan と Lotus1-2-3 の日本語版が日本上陸した直後に体験する機会を得ている。

マルチプラン
マルチプランの値段は記憶にないけど、当時Lotus1-2-3は98,000円で販売していた。恐らくマルチプランも98,000円で販売していたと思う。とても高額ソフトで一般庶民が簡単に買えるシロモノじゃなかった。
初めてフロッピーディスクを手にし、ソフトを起動したときは一つ一つの動きを目で追いながら操作した記憶がある。DOSベースであり今の表計算と考え方は殆ど同じだ。マルチプランもロータス123もフロッピー数枚でシステムそのものは動作したのだ。今となっては表計算ソフトがフロッピー数枚で動作するなんて驚異だ。
縦横計算が自動集計出来る程度の使い方しか思いつかなかった。

ロータス1-2-3
まだ、コンピュータを使って縦横自動集計することが珍しい時代だ。とても便利なツールだったので、すぐに表計算は浸透した。日本デビュー当時、私はせっかくこの優秀な高額ソフトを毎日使える環境にありながら、さしたる興味を持たず、暫く活用することはなかった。実に勿体ない話だ…。
ある日 何を思ったのか、ソフトを何気なくいじっているうちに、画面レイアウトの仕様書(デザイン案)が作成できた。当時は画面レイアウト(システムの入出力画面)の仕様書を作成するツールがなく、手書きによる画面デザインをしていた。
「おおっ!格好良くシステムの画面がデザイン出来るじゃないか!」と、とんだ方向違いの使い方をしたもんだ。
但し、表計算ソフトで入出力画面のデザインが出来ても当時のDOSは、そのデザイン画像を仕様書に張り付けるまでの機能はなく目的は達成できなかった。
初期のマルチプランはロータス123にシェアを奪われ劣勢に甘んじ、表計算と言えばロータス123なる黄金時代が続いた。ロータス社は超元気印の優良企業だった。

しかし、Microsoft Excel(ver2.0 1987年)の登場で徐々に雲行きが怪しくなっていく。
これは、MicrosoftのWORD と ジャストシステムの一太郎の状況と非常に似ている。
ロータス社はジャストシステムと同盟を組み、確か「ハーモニー」と称するパッケージソフトを発表し、マイクロソフトに対抗した。「ハーモニー」は、[1-2-3]と[一太郎]をひとつの箱にセット販売した単純な戦略だ。
EXCELより[1-2-3]を、WORDより[一太郎]を使おう!ってことだ。しかし、マイクロソフトに何ら打撃を与えることは出来なかった(と思う)。
ロータス1-2-3のシェアは徐々に落ち込み1995年にIBMに買収される。Lotus1-2-3そのものは生き続けたが、IBMの製品群に吸収されていった。一太郎もシェアは徐々に落ち込むことになるが、これは別の機会に触れようかな。
2003年10月、まさかソースネクストから1,980円で売られる時代がくるとは・・・。98,000円の突き抜けた高機能ソフトの栄華を知っている者にとって、まさに盛者必衰だ。
何だかなあ~。