自分とコンピュータ史

127 IBMがマイクロソフトに敗れる日

IBM OS/2 vs MS-Windows(#2/2)

マイクロソフトがIBMと決別する最大の理由は、未来思想が合わなくなったからだ。
IBMはハードウェアを購入した最重要顧客を優先したPC-DOSやOS/2の開発を行った。これは、メインフレームを有する顧客を考慮してのこと。片や自由な立場のマイクロソフトは最新テクノロジーでの開発を望んだ。

ゲイツはマックのように使いやすいPCにすることに強い拘りがあった。IBMと喧嘩別れしても理想を追い求めた結果だ。

もし、IBMがマイクロソフトの意見を受け入れていれば、マイクロソフトはOS/2共同開発を捨てなかっただろう。そうであればWindowsとOS/2のシェアは入れ替わっていたかもしれない。まさに歴史は変わっていたかもしれない。

ユーザーにとっては、市場がOS/2でもWindowsでもどちらでも良い。
思想の食い違いで OS/2 3.0(OS/2 WARP)の開発にあたってマイクロソフトは撤退する。WARPはIBMだけで開発することになった。

マイクロソフトはIBMから撤退する頃、DECで仕事を干されていたデビット・カトラーをマイクロソフトに迎い入れ、次世代OSであるNT(ニューテクノロジー)なるOSの開発を依頼する。まさにタイミングが一致するとはこのことだ。Windows2000以降のVistaもWindows7や10も全てNTの子孫となる。これは後のはなし。

OS/2 1.0登場したのは1987年、Windows1.0が登場したのは1985年。安定版のWindows3.1が登場したのが1992年、企業は次々とDOSからWindows3.1に移行している。これは私の職場でも経験があって、ある日を境にガラリとPC環境が変わるのだ。

社内は事前にWindowsを使える人が多かったため、混乱はまるでなかった。頑なにOS/2を使用した企業は、せいぜいIBM大型機やオフコンを導入していたIBM信者の企業くらいだっただろう。

私がOS/2を本格的にいじりまくるのは、遅まきながらOS/2 Warpの頃だが、既にこの頃は勝敗は完全に決まっていた。
1995年春、OS/2 WARPが日本でも発売されたが、既に市場はWindows3.1が高いシェアを確保していた。Warp発売に際しIBMは「DOSも動く、Windowsも動く」で市場を奪い返そうと大規模な宣伝を行っている。

そもそもOS/2の宣伝に「DOSも動く、Windowsも動く(「 Runs DOS, Windows and OS/2 application 」)」のキャッチコピーは負けを認めているようなもんだ。


IBM OS/2 Warp 4

個人的に一時期、OS/2とWindowsの両OSの使用経験はあるが、慣れの関係もあり使い易さはWindowsの方が上だった。
使い勝手や操作法に大差はないが、Windowsのほうが感覚的に使いやすかった・・・視覚もWindowsの方が洗練されていた。ユーザーが選ぶ理由は単純だ。

【関連】073 ウインドウズになれなかった IBM OS/2

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