(前回の続き)
日本語変換スピードに20秒かかった時間を3秒に縮める方法は何も革新的な内容ではなかった。
(a) 変換候補を選択する場合、次回からそれを最初に表示する学習機能の搭載
(b) 入力している段階で候補を絞り込んでいく先取り変換機能の搭載
たったそれだけだ。正解が分かれば馬鹿みたいに単純なものだ・・・技術が云々と言うより発想がポイントだ。勿論、技術に裏付けられての結果だ。そんな紆余曲折があって1978年発表 (JW-10)、1979年2月に店頭に並ぶ。
昨今は日本語変換は瞬時に変換されて有り難味がないが、当時は確かにコンピュータ自身が考える間(マ)があった。コンピュータも人間臭かった。
1980年代中頃になると各社メーカーがこぞって参入してくる。昭和40年代生まれ以前の人であれば、NEC「文豪」、富士通「OASYS」、シャープ「書院」、東芝「ルポ」などワープロに興味がなくても名前を聞いたことがあるだろう。当時はしきりにテレビや雑誌に登場していたからだ。記憶の悪い私でさえこれらメーカーの商品名は今でもしっかり記憶しているのだから。
1980年代後半~90年に入ると、ワープロ専用機はパソコンのワープロソフトと競合しはじめる。「あなたはワープロ専用機派?パソコン派?」なんて意味のない特集記事を何度も目にする。
当時は企業や官庁の公的文書は勿論のこと、個人でも手書き文字が活字として印刷されることに意味があった。ワープロとしての機能だけを考えれば、当時、パソコンのワープロソフトよりワープロ専用機が当然のことながら優位だった。
仕事柄コンピュータ系だったため、会社でワープロ専用機は幾らでも活用できた。そのためワープロを個人購入こそしなかったが、仕事がコンピュータ系でない人であれば、そこそこの確率で各家庭にワープロ専用機が置かれていたものだ。
但し、その多くは大切に保管され 年賀状の時だけ大活躍していた気がする。