1990年代
ダウンサイジング
ダウンサイジングなる言葉は、既にWindowsが登場する前のMS-DOS全盛時代から使われていた。1980年代終わり頃から1990年代の数年間だろうか。
ダウンサイジングは文字通りサイズをダウンすること。これまでの大型コンピュータ中心の業務をPC等に業務を移行することだ。PCの性能がどんどん進化したからこうなった。
大型コンピュータメーカーのIBMや富士通などもダウンサイジングなる言葉を使っていた。いつの頃か「サーバー・クライアント システム」なんて言葉が登場した。
クライアント/サーバー
確か天下のIBMが言葉をひっくり返して「クライアント/サーバー」と言い出したはずだ。クライアント/サーバーと言う方が言いやすいし、何となく格好良い♪ IBMがそう言うなら 他メーカーも右ならえで「クライアント/サーバー」と言い出した。
IBMが「クライアント/サーバー」を用いた理由は、PCの圧倒的進化と、大型汎用機を所有出来ない大企業や中堅企業、中小企業を広く取り込みたかったからだ。
と言うのも、サンを筆頭としたUNIXサーバーや多数のPCメーカーが鎬を削っていたため、もたもたしていたらIBMもミッドレンジを中心として市場を奪われる危機感があった故と思う。
IBMの大赤字と大量リストラ
1993年IBMは史上最大の赤字を計上(自分の手元資料では49億6500万ドル)し、4万人の大リストラを断行している。当然、日本IBMも大きく影響したはずだ。要はサーバーとPCの普及に伴い、大型機は売れなくなったからだ。
1994年~95年に元日本IBM営業マンが当時私の在籍していた会社に5名ほど転職してきた。役員待遇、部長や課長職でだ。IBMの肩書がこれほど優遇されるものかと当時の私は驚いたもんだ。
IBMは大型コンピュータの需要縮小は覚悟はし、AS/400の中堅機やクラサバ方式で販路を拡大した。大型コンピュータそのものは無くならないと判断もあるはずだ。現に、今も尚 金融系を中心に大型汎用機は活躍している。COBOL案件も適度に需要はある。
IBM PS/2 (Model 25) / IBM PS/55
米IBMは大型連携に企業向けPS/2、個人向け低価格機としてPS/VとPS/1を投入(PS/1は日本国内では販売されていない)。
国内なら日本IBMがPS/2をベースに日本語表示を可能とした企業向けPS/55、個人向け低価格機PS/Vを投入するのがこの頃なのだ。
IBM PS/V Vision
オープンシステム
この頃になると従来の汎用機中心の開発に対して、「オープンシステム」なる言葉が登場した。当時、オープンシステムとは、脱汎用機を意味するクライアント/サーバーシステムのことだった。
いつしか「汎用機系」と「オープン系」とシステムが分かれ、必然的に技術者も「汎用機系」と「オープン系」に分かれた。
汎用機系:大型汎用機、COBOLを中心とした金融・証券・損保系案件。COBOL案件は今現在も需要はそこそこ高い。
オープン系:PCとサーバーで構成されるクラサバ系の開発。インターネットの圧倒的な進歩で、今やウェブシステム案件に大きくシフトしている。