ワープロは東芝、シャープ、NEC、富士通の4強だったが、勿論 他の国産メーカーも頑張っていた。記憶の残るメーカーだけになってしまうが、幾つか触れてみてみよう。
ネットに日本デジタル研究所のワープロ機の情報はまるで載っていないが、JDLの名称で知られている日本デジタル研究所 文作シリーズがあった。何とかYouTubeに当時のテレビCMが見つかった。
何とドラえもんの「藤子・F・不二雄」氏が神と崇めた「手塚治虫」氏が登場している。時代を感じる。
文書は勿論、見積もり計算、フローチャートも書ける パソコンとしても使える・・・と謳っているように作図・演算など多機能ワープロだった。まだ「カナ漢字変換方式」ではあるが「単漢字変換」時代。1文字の漢字の読みをカナ入力し、変換キーで複数の候補の漢字候補を指定する方式だ。
私が数年に一度、免許更新に出かける江東運転試験場の向かい側にJDL本社がある。とても会社らしからぬ威風堂々した大学キャンパスを思わせる外観。立派な門越しから試験場に出かけるたびに眺めてしまうのが恒例となっている。
ハードウェアが追い付いていない時代だったが、音声入力方式、タッチペン方式なども1980年代に頑張っていたようだ。

さり気なく価格は約10億円の記載があるが、現在のスマホはこれ以上の能力を備えている。(講談社 科学大辞典 MEGA 1985年)
ワードプロセッサVWP-100シリーズ コンピュータ博物館


キヤノンPW-10
ワープロが登場し始めた当初はキーボードに抵抗ある人は多かった。それを叶えた50音配列キーボード(あいうえお順配列、キヤノンPW-10 148,000円。でも、とっても入力効率が悪そうだ。
動画で当時のワープロCMを見ることが出来る。今じゃテレビで日本のメーカーの家電CMさえ見ることがめっきり少なくなった。ワープロひとつでもCMがジャンジャン流れた。強い日本がここにある。
クルマ、電気、食品、化粧品・・・こんなCMがテレビでジャンジャン流れて、日本の未来は明るいと強く感じた時代だった。