1980年代は大型汎用機(メインフレーム)が全盛期だった分、業界再編成も激しかった。白雪姫(=IBM)と七人の小人たちの小人たちは、1986年にバロースとUNIVACは合併してUnisysとなるが、他の小人たちは吸収や売却などで次々と市場から姿を消していった。
私が新卒で入社した会社は日立とバロースの超大型汎用機を使用していた。
自分にとってバロースのメインフレーム経験は日立とのOSの違いを理解するのに役立ったが、日立のメインフレームを経験したことは大変有難い経験だった。
後で知ることになるが日立のOS(VOS3)と富士通のOS(MSP)は、IBMのOS(MVS)と酷似していたからだ。日立のマシンを使いこなしていた技術者ならIBMマシンは楽に使いこなせた。更に富士通のOS(MSP)も同様だ。
国内での大規模システム開発でIBM・富士通・日立系のシステム開発であれば、どれも違和感なく対応できた。
当時、日立から三菱(MELCOM)と東芝(TOSBAC)の大型汎用機のプログラムコンバージョンを行ったことがあるが、OSが異なると勝手が分からず非常に苦労した記憶がある。コマンド入力による命令も異なるからだ。
話を少し戻すと、国は多額の補助金を出して国産のコンピュータメーカー6社を育成しようとした。その6社とは、日立、NEC、三菱電機、富士通、東芝、沖電気だった。6社の中に松下電器の名前がないのに不思議に思うかもしれないが、経営の神様こと松下幸之助さんは金食い虫のコンピュータ事業から1964年に早々と撤退し、コンピュータ事業に進出しなかったのだ。
国内のコンピュータメーカーは、白雪姫(=IBM)と七人の小人たちの小人たちと技術提携した。日立製作所はRCA、日本電気はハネウェル、東芝はGEと言った感じでね。
その後、国はさらにグループ分けして各社競争を図った。
・日立製作所と富士通(IBM互換)
・NECと東芝(ハネウェル、GE系。一部は独自)
・三菱電機と沖電気(独自)
繰り返すが私は日立の汎用機を経験したおかげで、富士通とIBMの大型汎用機は違和感なく使えた。
当時の企業は独自路線の意識が非常に高く、それぞれのOSを理解しないとシステムを使いこなせない不便さが多々あった。
余談だが、皮肉にもこのとき大型コンピュータから撤退した松下(パナソニック)は、現在のパソコンメーカーとして残り、前述した日本の国産メーカー6社は最終的にパソコン事業から撤退(売却)することになる。
NECに至ってはパソコンは国産機と言われるほど圧倒的シェアを独占していたのだが。
当時を知れば嘘みたいな結末を迎える。それは別のおはなしで。