IBM PC DOS誕生ストーリー(#2/3)
1980年7月~1981年6月
122 ライバルは空の上の続き
サムズは打ち合わせが出来ず引き返し、キルドールは一世一代のチャンスを失う。
これには色々な説があるようだ、
・サムズは妥協案を提示してドロシーに守秘義務契約書にサインは貰っている
・元々打ち合わせは午後だった、サムズらが10時に早く来てしまった
・だからキルドールは午前は別件の打ち合わせをしてから自家用飛行機で15時に戻ってきた
脇先生の本「ビル・ゲイツⅠ」によれば、15時にサムズはデジタルリサーチ社を再訪し、キルドールと会っていると記載されている。但し、キルドールはIBMの提案に難色を示し、交渉は上手くいっていない。
嘘のような話だが、翌日からキルドールは夫人と1週間の旅行を予定していて、翌日のサンフランシスコ発マイアミ行の便でIBMのサムズらと乗り合わせたらしい。旅行から戻ってきたら連絡することだったようだが、その後キルドールがサムズに何度も電話すれど通じなかった…とか。
サムズは、ゲイツにDOSの開発が出来ないか再確認を行う。女神が再びゲイツに舞い降りてきた。
しかし、繰り返すがマイクロソフトはDOSを持っていない。
人生最大なる決断
8月28日、マイクロソフト本社で会議が開かれた。MS側:B.ゲイツ、P.アレン、S.バルマー、西和彦、弁護士のゲイツの父親。IBM側はサムズ含めて5名。
BASICの他、FORTRAN、COBOL、Pascalの提供の詳細事項、そして何よりもDOS開発をマイクロソフトが出来るか否か。
IBMは最終提案を10月には欲しいと言ってきた。ゲイツは人生最大の重大な局面に迫られる。
絶対にやるべきだ
書籍:ビル・ゲイツⅠでは9月21日、書籍:HARD DRIVEでは9月28日、ゲイツは アレンと西を呼んで緊急会議を行っている。沈黙が続く・・・
書籍:ビル・ゲイツⅠではアレンがティム・パターソンのQDOSの話を持ち出す。
書籍:反省記では西さん自らQDOSを切り出している。誰が切り出したかの説はいろいろだが、突然西さんが跳び上がって「絶対にやるべきだ」と言ったことは どの本も共通している。
【関連】090 西和彦 反省記
成功すれば莫大な利益が舞い込むが、失敗すれば再起不能だ。
ゲイツ、最終契約にIBMに向かう
1980年11月下旬、迷いに迷ったゲイツだが最終的にIBMと契約する。
ゲイツ、バルマー、オリオ(プログラマー)がIBMのボカレイトンに向かうが、ゲイツはネクタイを忘れ、途中でネクタイを買うためデパートの10時オープンを待ち、IBMへは30分の遅刻をしている。
契約は上手くいったが、ありとあらゆるスケジュールを言い渡される。ここから命を削っての開発が始まる。開発行程は本を読む分にはスリリングで面白いが、壮絶な日々であることは誰しも理解出来ると思う。
日本なら間違いなく労働基準監督署からアウト宣告される労働だ。いつの時代もそうだが、かって日本も「24時間働けますか?」なんてテレビCMが平気で流れたハードワーク時代はあった。