1991年~1993年
DOS/Vマシンを非常に簡単に言えば、米国IBMが発売しているPC(AT互換機含む)に日本語表示が出来るようにしたものだ。
IBMのPCのDOSはPC-DOSと称され、一時期IBM-DOSとも称されたが、マクロソフト社がIBMに提供していたこともあり最終的にはMS-DOSとしてAT互換機メーカーに広く供給された。
1981年 PC-DOS1.0 が最初となるが、その頃はビル・ゲイツ、ポール・アレン、そして日本人の西さんがいた。090 西和彦 反省記に記載したように、西さんの後押しがなかったらマイクロソフト帝国は無かったかもしれない。試練を乗り越えIBM-PCが登場する。053 IBM-PC 5150の登場で変わる市場で記載した内容だ。
今も捨てずに自宅に眠る IBM-DOS J5.0/V
IBM-PCは勿論、国外PCでは日本語表示は出来なかった。NECはハードウェアを利用して日本語表示の出来る国内仕様にし、長きに渡ってNEC PC98シリーズは圧倒的シェアで君臨し続けた。PC98は日本の国民機とさえ称されたものだ。
1998年にIBM DOS 4.0(MS-DOS 4.0)、間もなく日本でIBM 4.05 俗に言うDOS/V(IBM DOS J4.05/V)が登場する。これによりソフトウェアのみで日本語表示が可能となった。一部の人はその潜在能力を感じていたが、当時はあまり大きな話題にならなかった気がする。単に私がその熱い報道を聞き逃しただけかもしれないが。
IBM-DOS J5.0/V 一式 ※1
1991年になるとIBM DOS5.0(MS-DOS5.0)が登場し、IBM-PC/ATが発売され、日本語表示が可能なことが注目される。『これってもしかしたら凄い事じゃないの?』となり、一気に注目を浴びる。巷ではDOS/V、ドスブイと騒ぎだした。国内でもPC/AT互換機メーカーが幾つも登場しだす。
IBM-DOS J5.0/V そのものは、たった3枚のフロッピーディスクで構成されている。画像の左上の箱の中に収められていた。3枚のシステムディスクと2枚の日本語変換ディスクの全5枚。画像の左下は2枚のサンプルディスクが収められている。
Windows3.1(日本語版 1993年)
DOS/V人気に拍車をかけたのは、IBM-DOS(MS-DOS)上にWindowsなるOSをインストールすることで、Windowsになることだ。日本IBMは DOS/V対応の個人向けPS/55Zを発売した。日本でDOS/Vと言えば、IBM DOS J5.0/V もしくは MS-DOS Version5.0/V となる。”V”の意味はVGA(Video Graphics Array)のこと。
もともとAT互換機は価格が安いこともあり、ハードはそのままで日本が表示出来るようになるのだから日本国内に海外メーカーが次々と進出してくる。これに一番焦ったのは国民機と称され圧倒的地位を確立していたNEC PC98陣営だろう。