就職活動にいそしむ若者の希望先は、やはり大企業に集中している。
小さな会社を選ぶより、大きなマーケットで勝負が出来る大企業を選ぶのは当然の結果だと思う。
当時通勤に使った日比谷線 茅場町駅
当然、私も新入社員時代はあった。当時としては比較的大きなシステム開発会社だった。
当時、茅場町(会社の住所は兜町)に本社を置いた日本電子計算(通称JIP)がそうだ。日本証券金融のコンピュータ部門が独立して設立された会社だ。新入社員のプログラミング同期が70人以上いた。今でも飲みに行く当時の同期はいる。
こんな感じで証券会社が乱立していた
当時の兜町は証券会社が密集していて、証券会社の看板が異様なくらい立ち並んでいた。東京証券取引所が近くにあるのが理由だ。インターネットは勿論、コンピュータによる電子化がこれからの頃だ。インターネットの発展で、僅か20年ほどで兜町に密集した中小証券会社は次々と姿を消していった。
会社の近くには東京証券取引所があった
誰でも最初に入った会社って忘れないもので、今でも茅場町に行くと懐かしい気持ちで一杯になる。社会人2年目で徹夜・徹夜・徹夜の試練も経験した。
私が退職して別のソフトウェア会社に移った後、JIPは東証一部上場まで駆け抜けた。
そんな時代もあったのだが、2012年3月にNTTデータの傘下になってしまう。当時を思えば信じられない。
JIPの名前は残ったが、当時の同期に話を聞くと、もはや当時と全然違うとのこと。コンピュータシステムは劇的に変わってしまったからだ。
別のシステム開発会社に移ってからも、独立するまで、大企業のシステム開発ばかりやってきた。大きなシステム開発しか経験のない片手落ち経験だが、大局を見る目は養われた。
完全にシステム化された東証、僅か20年で劇的に変わった
独立してから状況は一変した。
技術系だった故、独立した時は営業の仕方なんか知らない。信じられないような本当の話だが、請求書さえどうやって出して良いのか分からなかった。
「営業の仕方も知らないで、どうやって仕事を受注出来るの?」と思うだろう。
不思議に思われるかもしれないが、プログラミング技術・システム設計技術があれば、仕事は何とか受注できたのだ。
近くにある現在の日本橋界隈、この街も劇的に変わった
しかし、時代は過ぎる。同時に自分も一つ二つと齢をとる。
景気の浮き沈みは仕事の受注と大きく関係する。景気が悪くなれば、営業力がない会社は回転していかないことを強く実感する。認めたくなかったが、技術力なんか2の次だった。
さらに時代は進む。大企業の倒産や吸収合併が全然珍しくない時代となる。仲良くなった中小企業で、消えていったIT会社を幾つも見てきた。それが今の時代だ。
築地方向から臨む、中央に銀座和光ビルが見える
中途採用者の履歴書を頂くと、今や5回~6回の転職は珍しくない。
そして、そこに驚く事実が隠されている。
履歴書の退職理由に「自己都合」でなく「会社都合」が多いことだ。
以前なら退職理由は、殆ど「自己都合」だった。
会社倒産・吸収・合併・部門縮小とかの文字なんて珍しくなくなってしまった。契約社員採用で「契約満了のため」も実に多いのだ。
時代は確実に変わった。どんどん便利な時代になってはいるが、人間の競争はより厳しくなっている。