今回の画像はシャープさんのウェブサイトの シャープ100年史「誠意と創意 の系譜」をベースにあれこれ引用させて頂いた。巷で販売されているビジネス本より圧倒的に内容が濃い内容だ。ビジネスマンなら一度は読んでおきたい資料だ。及びシャープに関するビジネス書の内容を当ブログに加えさせて頂いた。
新型コロナウイルス、オリンピック延期とネガティブ情報ばかりな昨今、シャープがマスクを生産する報道があった。いかにもシャープらしいなと思った。
シャープという会社を知りたければ、創業者の早川徳次を知ることで、どんな会社だったのか分かる。
社名のシャープはシャープペンシルから来ている。ご存知のようにテレビ製造を筆頭とする日本の総合エレクトロにクスメーカーだった。早川徳次会長はとにかく苦労人だ。会社を興してから何度も「負けるものか!」と苦難を乗り越えている。関東大震災で奥さんと2人の息子を一度に失う失意のどん底も味わっている。
その後、佐伯旭なる人物と出会い、息子を失った早川徳次は佐伯を迎い入れ息子のように指導した・・・と細部を語らず記載すれば美談になってしまう。しかし、二人の関係は複雑な経緯があったようだ。誤解を避けるためにここでは記載は控える。
1970年大阪万国博覧会が開催された。1964年の東京オリンピックに次ぐ一大イベントだ。テーマは「人類の進歩と調和」。小学生だった私は万博に出掛けて太陽の塔にも登っている。(写真:ニッポン放送「週刊 なるほど!ニッポン」より)
大阪万博には企業も多数協賛した。シャープもその一つだ。
その大阪万博出展を巡って、こんなエピソードがある。
(1) 大阪万博にシャープのパビリオンを出展すべきだ。世界にシャープの認知度を広める絶好のチャンスになる。(2) そこに巨額な投資は無駄だ。天理に総合開発センターとなる半導体工場を建設し、総合エレトロニクス企業を目指すべきだ。
費用は当時15億円、どちらか一方しか選択できない。あなたが役員であればどちらを選ぶか?
答えはシャープ100年史に詳細に記載されている。(写真はシャープ総合開発センター/清水建設ウェブサイトより)
その後、4代目 町田社長時にテレビのブラウン管を液晶に置き換える積極展開に出た。当時、吉永小百合を登用したアクオスの「世界の亀山」テレビCMは強烈なインパクトだった。まさにソニーやシャープなど日本のエレクトロニクスメーカーが世界を席巻した時代だ。5代目 片山社長は更なる拡大路線を取り、世界最大の液晶パネル工場である堺工場を稼働させた。しかし、これが命取りになった。
創業者早川徳次は1980年6月86歳で亡くなった。経営の神様と言われる松下幸之助氏が弔辞を述べた。徳次の遺体はシャープ本社を経由した。社員は沿道で棺のクルマに手を合わせて故人を迎えた。当時、私は報道特集で強い強い感動を覚えたシーンだ。(写真:シャープ)
世界の亀山ブランドを導いたのは町田社長だったかもしれないが、シャープの原点は創業者早川徳次、それを受け継いだ佐伯旭だったはずだ。特に創業者 早川徳次は社会奉仕を強調していた。これは幼い頃の貧困時代があったからだ。今回のマスク製造はシャープの原点を見せて貰った感がある。
是非、シャープのウェブサイトに飛んで、シャープ100年史「誠意と創意 の系譜」を読んで欲しい。特に創業時代の前半部分はお奨めだ。仕事とは何かが分かるはずだ。新型コロナに負けてなんかいられないと思うはずだ。
2016年 シャープは台湾の鴻海精密工業に買収された・・・。日本人として滅茶苦茶寂しい。
尚、当記事タイトルの「目のつけどころがシャープでしょ。」は1990年頃のシャープのCMのキャッチコピーだ。2010年頃から「目指している、未来がちがう。」に変わっている。