今や話題は新型コロナウイルスのことばかり。緊急事態制限の発令、不要不急の外出制限の要請、もともとオリンピック2020に向けてテレワークを提唱していたが、今回の騒動で一気に多くの企業はテレワークを導入せざるを得なくなった。実に皮肉な話だ。昨年の夏に勉強のためVRゴーグル(Oculus Quest)を個人で購入した。ちょっとそれに触れます。
アンネの日記で有名なアンネ・フランクになった気持ちで彼女の隠れ家を体験する。Anne Frank House VR なるものだ。実際と同様に、奥の本棚の裏側が秘密の入り口だ。
1942年7月6日、ナチス迫害から逃れるためアンネの父親オットーが経営する会社の3階奥側・4階・屋根裏に隠れた。VRは3階のここから始まる。VRでは2階には降りれないが、手前に2階に続く階段が見える。
本棚をドアを引くように開けると、隠れ家へ通じるドアがある。この全画像は、実際にVRゴーグル(Oculus Quest)をかぶって、自分が見える景色を自分のスマホにミラーリングした画像。ミラーリングした画像は少々粗く感じるけど実際はもう少し綺麗。歩行に合わせて上下左右と景色が連動するので、かなり臨場感がある。
ここから隠れ家だ。4階に続く階段と手前右側と左奥にドアが見える。
1942年7月6日から1944年8月4日にナチス親衛隊に隠れ家を発見されるまでの2年間、アンネが暮らした隠れ家だ。全体に薄暗く、ひっそり暮らしていることが良く分かる。
体験するまでどんな部屋に隠れていたかなんて全く知らなかったが、自分が思っているより部屋数が多いと感じた。勿論、毎日生活するにはかなり限られたスペースであることに変わりは無いが・・・。
実際はアンネ一家だけでなく、アンネ・フランク家族(父、母、長女、次女アンネ)の他、4人のユダヤ人の計8人が生活していたらしい。
1944年8月4日見つかってしまう。全員がナチス強制収容所へ移され、アンネは収容所でチフスにかかって1945年3月上旬に亡くなった。わずか15歳だ。
唯一生き残ったアンネの父親が、アンネの日記を出版し、かつての隠れ家を博物館としてオープンさせた。VRも実際の間取りをもとに徹底的に調べて作られているようだ。
隠れ家の家具は、アンネたちが連行された直後に全て撤去されたらしい。その後、生き残った父親が博物館として可能な限り再現させたようだ。しかし、壁に残された幾つものピンナップ写真が当時の様子をまざまざと感じさせる。
1944年7月15日のアンネの日記には、どんなに絶望的な状況になっても最後まで希望を捨てないと綴っている。このあと7月21日の日記、見つかる3日前の1944年8月1日の日記で終わっている。
こうして室内を歩きまわると、アンネの隠れ家は薄暗い部屋だ。毎日毎日この薄暗い空間にひっそりと隠れて生活するのは相当つらい。かなり精神的にまいる。娯楽や楽しみなどあるはずもない。
果たして自分が2年間、ここで暮らすことが出来るだろうか。ストレスは半端ないものになるはずだ。事実、アンネ一家もケンカや口論があったようだ。そりゃそうだろう。
ここにアンネは2年間も我慢したのか・・・。今さらながらアンネは強い強い少女だったんだなと思う。偉かったんだなあ。
VRゴーグルは意外と重い。ゴーグルなしで体感できることがVRの最終着地点だと思う。目が疲れるのと船酔いに似た感じが出てくるので、長時間使用は止めておいたほうが無難。せいぜい2時間程度かな。よって、まだまだVRは発展途上段階かな。
「アンネの日記」の詳細は、ネットで幾らでも知ることが出来る。
https://www.annefrank.org/en/
調べているうちに一つの興味深いことを知った。
何とオードリーヘップバーン(1929年5月4日~)とアンネフランク(1929年6月12日~)は同じ年だった。