前回、コンパックの BIOS(バイオス)に関する突っ込みをいれようと思う。【関連】IT-Blog:104 コンパック・コンピュータ
IBM 機密情報スパイ事件
1982年6月22日 日本のメインフレームメーカーの社員らがIBMの機密情報のスパイ行為として逮捕された。この事件は日本国内が大騒動になった。IBMは優秀なエリート弁護士を多数抱え日本側を追及した。
1980年代頃のIBMは、大型汎用機メーカーとして、ハードウェア・周辺機器・付随ソフトウェアで巨万の富を得ていた。富士通・日立のメインフレームメーカーの更なる上に位置し、コンピュータに関しては物凄い影響力があった。日本は多大なダメージを受けた。これはメインフレームのスパイ事件だが、そのくらい機密情報にうるさいってことだ。
メインフレームで我が世の春を謳歌していたIBMも、PCの目覚ましい進歩についに重い腰をあげた。PCの市場進出に焦った感もあったと思う、IBM自らOSを開発すれば良いのに その心臓部を外部に依頼した。驚くのはマイクロソフトもOSを所有していた訳でないのに、MS-DOS(IBM-DOS)を3ヶ月で作りあげるのだ。【関連】IT-Blog:090 西和彦 反省記 の後半箇所に記載
左上:Phoenix BIOS Chip、右上:AMI BIOS Chip
下両方:COMPAQ BIOS Chip
IBM PCハードそのものも自社製で揃えるわけでなく外部メーカーで構成されていた。短期間にPC市場に参入するための措置だったんだろう。BIOSさえも一部を除いて公開している。但し、IBM互換機メーカーはIBMのBIOSをそのまま使用することは出来なかった。
ちなみに BIOS(Basic Input/Output System)とは、PCのマザーボード上に搭載されているハードとDOSのデータを送受信する小さなプログラム。重要なプログラムでマザーボードにROMとして搭載されている。BIOSと言えば最近では UEFI なるものが登場するが、話が長くなるので今は無視。
フェニックス BIOS
IBMはBIOSの仕様を公開したが、全てではなく防壁を残した。
コンパックはこの防壁を突破し COMPAQ BIOS を作成し、IBM互換PCを販売した。のちにフェニックス・テクノロジー社もBIOSの防壁を突破している。IBMは短期間でPC市場に乗り込んでシェアを獲得したが、互換機メーカーもフェニックスからBIOSのライセンスを受けてPCを発売することになる。
AMI BIOS
一番喜んだのはマイクロソフトだ。フェニックスBIOSが登場してから互換機メーカーは次々にPCを発売し、そのOSをIBMーDOS や MS-DOSとして販売提供出来るようになるからだ。
何故 IBMはマイクロソフトのDOSを買い取って、IBM-DOSとして権利を独占しなかったのか?
独禁法の関係もあったような記事も見かけるが、恐らくDOSの不具合を恐れ、何かがあった場合はマイクロソフトに責任転嫁を考えていたんじゃないだろうか?もし、この勝負で大きな不具合があったらマイクロソフトは市場から消えていただろう。まさに生死を隣り合わせにした大きな挑戦だった。
誰にもチャンスは一度や二度ある。そのチャンスを掴む勇気があるかないかだ。
そう考えると、やはりビルゲイツは凄かった。
【情報引用】
産業スパイ事件
Tandem Nonstop Computer