以前 「099 コンパックショック!」 に触れたついでに、コンパックの企業そのものにも触れてみましょう。
1982年2月、TI(テキサス・インスルメンツ社)をスピンアウトした3人の技術者がゲートウェイ・テクノロジー社を設立し、同年10月にコンパック・コンピュータと社名を変えIBM互換機を発売した。

初代 IBM PC 5150(1981年)
IBM互換機メーカーの多くはIBM-PCのBIOSをほぼそのままコピーして互換機PCを販売していたため著作権侵害で多くのメーカーはIBMから訴えられている。
コンパックは自分でROM BIOSを開発したことで訴訟こそ起こらなかったが、コンパックが勝手にそう思っていただけのようだ。当時IBMは独占禁止法違反が最後の段階で動きにくいところにいたため、単純にコンパックを訴えなかっただけだ。
いずれフェニックス・ソフトウェア・アソシエイツは、クリーン・ルーム・テクニック手法で、IBM互換機メーカーにBIOSのライセンスを29万ドルで提供し、互換機メーカーはそれを利用することになる。マイクロソフトも効率よくMS-DOSを売ることが可能になった。[ビル・ゲイツⅠ 脇 英世 著 P216~P222より抜粋引用]
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1983年 初代 Compaq Portable
コンパックは、IBM PC互換機の最初のメーカーのひとつ、高品質なIBM互換機 Compaq Portableを発売した。IBMはその対抗策としてコンパックと同等の仕様の製品を投入している。真似したIBMよりコンパックの方が品質が優れている笑えない結果となりIBMは大恥をかいている。当時のIBMの資金力・開発力は桁はずれに凄く、コンパックなんか足元にも及ぼなかったはずなのに。

Compaq Deskpro 386
1996年、IBMより先にi386搭載マシンDeskpro 386発売した。裏にはマイクロソフトの援助もあった。マイクロソフトはWindows及びi386が走るマシンが必要だった。当時パソコンのアーキテクチャはIBMが定義し、他メーカーはその後追いが普通だったが、コンパックがパソコンを定義し、筋書きをひっくり返した。[ビル・ゲイツⅠ 脇 英世 著 P219]
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コンパックを創業した3人の一人であるロッド・キャニオンは当初、高品質・高価格路線だったが、低価格路線に舵を取り始めた。更にエッカード・ファイファーになってから低価格路線は推進強化された。
1990年代になるとコンパックはどんどん企業規模は拡大し、IBM-PCを凌ぐ勢いを見せ低価格路線で日本に上陸も果たしている。それが「099 コンパックショック!」でもある。
エッカード・ファイファーの時代、コンパックは単なるパソコンメーカーでなく総合メーカーを目指し、1997年にはノンストップコンピュータのタンデム社を買収。更に1998年、ディジタル・イクイップメント(DEC)を買収している。

Tandem Nonstop Computer (1976)
私はこの行為が不思議で不思議でならなかった。
言い方は悪いが所詮PCメーカーのコンパックが、権威あるタンデム社と歴史あるディジタル・イクイップメント社(DEC)を何故買収できたのか?
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DEC VAX-11/780
当時、日本タンデム社、日本DEC社と日本法人が国内でも活躍していた。私はタンデム社、DEC社の方が遥かに権威ある優れた企業と信じて疑わなかった。巨艦IBMのメインフレームにミッドレンジコンピュータで挑んだ雄と思っていた。

DEC CELEBRIS FX 5166
しかし、やはりコンパックの拡大路線は無謀だったようだ。無理がたたって最終的にコンパックはHP社に買収されている。
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