1988年~1993年にNTリリースされるまで
WindowsNT開発の道(#2/4)
この頃はサン・マイクロシステムズのUNIXワークステーションが急成長していた頃でもある。貧弱なDOSやWindowsより高性能なUNIXマシンに誰しも一目置いた。
私も知的でスマートなUNIXワークステーションに憧れた時期が確かにある。その頃のUNIXマシンは値段が高く高嶺の花だった。
【関連】033 憧れのサンマイクロ社のUNIX
DEC VAX-11/780(出典)
カトラーはDECでVAXのOSを開発していたが、DECのVAXはIBMの中堅メインフレームを脅かすくらい位売れた。
前回記載したようにカトラーは1988年 マイクロソフトに入社する。カトラー46歳の頃だ。ビル・ゲイツは、OS/2の上位版OSの開発としてカトラーを迎い入れたことを公表する。
カトラーは、ゲイツの富と権力に圧倒されるようすもみせず、マイクロソフトとその製品に対する軽蔑を隠そうともしなかった。コードはろくでもないし、DOSは「おもちゃ」だと思っている。本物のOSを開発したい、信頼性があって、ネットワーク管理が出来て、これまでのDOSになく、これからのDOSにも期待できないOSを開発したい。
この言葉を聞いてゲイツは喜んだ。マイクロソフトの将来についてゲイツの持つ夢とほぼ一致する。[本書 P59]
確か「AT&T+サンマイクロ+10社前後の陣営」 VS 「HP社+DEC社の30社前後の陣営」が2つに分かれてUNIX戦争をしていたのもこの頃だったはずだ。カトラーがマイクロソフトで新OSを開発することを知った両陣営は これに恐れ「いがみ合っている場合じゃない」と、UNIX戦争は収束に向かうんだ。
AT&T、IBM、DEC、HP、東芝、富士通、サンマイクロ、インテル…など名だたる企業が加盟している企業がマイクロソフト1社の動向に大きく左右されるなんてマイクロソフトってホント凄いよね。
【関連】037 UNIXの誕生 と UNIX戦争
カトラーは自分がマイクロソフトに入社する条件に、自分の部下十数人を一緒に連れて行くことを要望する。中にはハードウェアエンジニアも含まれていた。ビル・ゲイツは凄腕エンジニアが増えるのは嬉しいが、ハードウェアエンジニアまで要らないと思ったようだ。そりゃそうだ。
しかし、このハードウェアエンジニアも重要な役目を果たす。NTは未知のOSだったため それを動かすハード試作機が必要だったからなんだ。新OSの動作検証のためにマイクロプロセッサを検証し、数年後に登場するであろうマシンに合わせたOSを作るためのハード試作機の検討も必要だった。
う~ん もう自分の考える遥か先をいっている。この試作機の情報はPCメーカーにもOSを最大限に生かし、マイクロソフト製品をより引き上げてくれることになるわけだ。
要は、まだ市場はハードがソフトの要求を満たす能力に全然追い付いていなかったって訳だ。
マイクロソフトにカトラーが移った時、まず7名の凄腕DECメンバーが移ってきた。マイクロソフトは若い社員ばかりでDECのメンバーは年齢が高く、社内で浮いていたらしい 😆
マイクロソフトは20代中心のエンジニア、カトラー軍団はすっと年上の熟練エンジニアだった。そもそもDEC社とマイクロソフトとの企業カラーは全然違う…うん何となく分かる。
3章から5章は、読んでいてワクワクする。プロジェクトの始まりって何であってもワクワクするもんだと思った。勿論、このあと乗り越えなければならない壁がいくつも登場してくるんだ。