自分コンピュータ史

131 ボーランドの隆盛から衰退

1983~2000年代後半
ボーランド(#2/2)

1990年代前半までのデータベース市場はボーランドの圧倒的支配下にあった。
しかし、1992年 ビル・ゲイツがMSアクセスの製品投入を発表する。ここで、ボーランドはマイクロソフトと機能と価格で激しくぶつかりあうことになる。マイクロソフトはボーランドの十八番の低価格販売戦略を期間限定の99ドルで販売し、挑戦状をたたきつけた。


MS Access 1.0 for Windows (1992)


99$ 販売パーッケージ

日本国内ではWindows3.1 が登場し、暫くしてから私はDOSの桐からマイクロソフトのアクセスに仕方なく移行している。大の桐ファンだったんだけど、いつまで経っても桐のWindows版が出なかったからだ。


今でも自宅に眠るACCESS1.1

問題はここだ。
何故 dBaseやParadoxでなく、アクセスを選択したかだ。ボーランドは3つもデータベースを持っていたし、ロータスはApproachを持っていた。それにも関わらず私は迷いなくアクセスに移行している。

マイクロソフトは、Windowsを開発している有利な立場を利用して、Windowsの機能を最大限に引き出し、それを強くPRした。Excel、Wordを使用するWindowsユーザーは心理的にもAccessを選んだ。私もボーランドのParadoxではなく、ましてやロータスのApproachではなくアクセスを迷わず選んでいる。

現時点でParadoxのほうが評価が高くても、直ぐにAccessは機能アップしてくる。それなら今からACCESSに慣れておこうと思うのだ。
正直言えば初期のアクセスは使い難かった。マイクロソフトの初期版のソフトウェアは全て使い難いのが常だったので想定内だったが…。

ボーランドの言語開発ソフトはマイクロソフトの類似製品より評価は高かったが、プログラミング製品はユーザーの絶対数が少ない。よって、アプリケーションソフトで市場拡大を狙うしかない。理由は容易に理解出来るが、アシュトンテイトのdBaseの意味不明な買収など積極展開のつけが回り、資金繰りに苦しむことになったようだ。


左からボーランド、マイクロソフト、ロータス

さらにオフィス製品ソフトの戦いを繰り広げている。ライバルはWindowsを開発販売するマイクロソフトだ。敵の牙城で闘うようなもので誰が考えても不利だ。結論を言えばマイクロソフトの圧勝で終わる。恐るべしマイクロソフト❣

そんなこんなで表計算のクアトロプロをノベルに売却するなどボーランド製品の身売りが当時は話題になったもんだ。
1995年にフィリップ・カーンは会社を去る。1998年7月インプライズに社名変更するが、2000年11月にボーランドに社名を戻すことを発表する。

もっともフィリップ・カーンは、その後 複数の企業を興して健在なんだけどね。う~ん、たいした男だ。

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