1989年~1997年頃
某大手信販会社で20~25名(ピーク時28名)のプロジェクトリーダーをしていたとき、ワープロは前回のデービーソフトのP1.EXE を使用していたが、工数管理にデータベースソフトに管理工学研究所の桐(1986年~)を使用していた。当時 桐は圧倒的な人気だった。
カード型データベース
自宅にPCを購入し、サムシンググッドのカード型データベースソフト Ninjya 3Pro(忍者スリープロ) を使って個人のデータ管理をしていた。
カード型DBは、エクセルで考えれば1行が1つのデータのこと。100行あれば100個のデータとなる。名刺や住所録をイメージすればよい。仕事だとデータは数千件になり、色々な角度から分析したい場合、機能が足りなくなる。
リレーショナルデータベース
そこで、高機能な管理工学研究所のリレーショナルデータベース「桐」を会社にお願いして購入許可(98,000円)を貰った。このソフトでプロジェクトの工数管理を行ったわけだ。
当時使用した桐ver4
当時 桐は絶大な支持を得ていた、世の中がWindowsに移行しても桐のWindowsはなかなか登場しなかった。WindowsPCでありながらMS-DOSに切り替えて桐を使用し続けるユーザーが多数いた。当時はかなり有名な話だった。これはiPhone信者のような感覚と似ている。桐を一度使い出すと惹き付ける魔力があるようだ。
プロジェクトの月間報告書
私も桐の大ファンで、日々発生する作業データを入力し、「一括処理」と呼ばれる日本語混在の特殊なプログラムを作成し月間報告書を作成していた。熱烈な桐ユーザーと同様、巷はWindowsにシフトしてもWindowsをDOSモードに切り替えて2年ほど使用した。
上の画像の1枚目と4枚目(4枚目は何ページも同じフォーマットで続く)は桐で出力したプロジェクトの作業報告書だ。Ninjya 3Proはグラフ出力は長けていたため、2枚・3枚目のグラフは Ninjya 3Pro によるもの。
MS-DOS時代の桐ver5のトップメニュー
既に表計算ロータス1-2-3はメジャーな存在だったが、当時は縦横計算の印象が強すぎたのか私は表計算を進捗管理に使用する発想が全くなかった。現在ならExcel VBAで立派に業務システムを作り込めるためデータベースソフトは要らないかもしれない。
Windows版の桐の登場を強く待ち望んだが、なかなか登場しなかった。前回記載したデービーソフトのP1.EXEと似た状況だ。Windows版の桐は遅れに遅れ、完全にタイミングを逃した。仕方なく私はMS-ACCESSに移行せざるを得なくなった。
しかし、この時のMS-ACCESSは、マイクロソフトも認めていたように出来そこないの使い難いソフトだった。
初期のMS-ACCESSは使い勝手が悪く、自分の理想とするデータ管理が構築出来ず常にストレスが続いた。1997年、ようやく桐ver6 Windows版が登場する。しかし、その時の私はプロジェクトを抜けていた。
今もバージョンを繰り返す桐
管理工学研究所の桐は、現在も開発は続けられている。MS-DOS時代の栄華を知っている者には寂しさを感じるが、桐の存在は決して忘れない。これはジャストシステムの一太郎と同じだ。
DOSからWindowsへ シフトチェンジ出来ずに消えたソフトは多数あるが、一太郎や桐はMS-DOSの時代を乗り越え 今もなお開発販売されている。これは優秀な製品であることの何よりもの証拠だ。高い賛辞を贈りたい。これってホントに凄いことなんだよ。