新潟県糸魚川市出身。目の前に海が広がり、海と山に挟まれた自然豊かな片田舎に育つ。
当時、糸魚川駅前に住む伯母がピアノ教室を開いていた関係で、自宅にアップライトピアノがあった。たいして上手くはなかったが、小さい頃からピアノに慣れ親しんだ。中学生の頃はフォークソング、高校生ではロックに凝りだし、バンドではキーボートを担当する。
東京に出てからも大学生時代はバンド三昧だったが、音楽で生きていける程の才能がある訳もなく、あっさり大手ソフトウェア会社に就職。(この会社は東証1部上場を果たす)
当時のソフトウェア会社の定時は22時、定時に帰れる日は殆どなかった。徹夜は何度も経験する。トラブルが発生した時は、徹夜したその日も徹夜するなんてこともあった。1週間帰れない日々が続いたときは、大家さんに「仕事の関係で家に帰っていませんが元気です!ご安心下さい」と、会社から電話をしたことがあった。決して笑えない事実である。
勿論、そんな日々ばかりではない。入社後も学生時代から続けていたバンドを続けた。なんと会社で軽音楽同好会を結成し、会社でバンド活動を続けた。会社は若い人が多く、○○○バンド(○○○は会社名)なるバンド活動が出来る程の非常に恵まれた環境だった。
都内の誰もが知る某ホテルで会社の忘年会が開催された際も演奏を行った。
しかし、若者には受けたが上層部の人たちに「演奏がうるさいと!」と悪評を叩かれた(笑)。
入社当時のコンピュータ業界は、紙カード・磁気テープが活躍していた大型汎用機の時代だった。
当時、業界では最大手だった関係もあり、「超」がつく大型コンピュータがセンターに複数台鎮座していた。
そんな超大型汎用機からクライアントサーバーの時代を経て、現在のウェブ全盛期のシステム開発、そして現在のウェブ制作&ウェブシステムへと続く。時代が進むにつれ、扱うハードウェアはどんどん小さく小型になり、システムはどんどん複雑になっている。
・某大手都市銀行のシステム開発に3年
・某大手証券システム開発に4年
・上場大手の製造業システムに4年
・その他、某化粧品会社、某石油会社など一般企業システム開発を数年
・上場大手の信販業務に7年(最大時28名を管理するPRJリーダー)
・上場大手の国際物流システムに7年(情報システム部門 Java系 for Web)
国際物流システムに着任時、お客様先常駐を行いながら独立した。そこまでは良かったが、まもなくリーマンショックに遭遇し、低迷の数年間を経験する。
そんな中、堅実経営に励んだ結果、資金難などで会社が傾くこともなく、低成長ながら現在へと続く。
複数のソフトウェア会社を経由しているが、一貫してコンピュータ業界のみに在籍する。他業種の上流工程を経験した関係で、複数の業界に在籍した錯覚もある。
メインフレーム、UNIX、Dos、Windowsの黎明期、Java系Webシステム、現在のWebサイト、Webシステム構築の歴史を実体験する・・・少々大袈裟な表現だが、レガシーシステムからWebシステムの構築まで語れる貴重な生き残りかも?(笑)
現在、大手・中小・零細企業の会社規模に関係なく、ウェブシステムの各種企画・提案・制作を行っています。