自分とコンピュータ史

012 プログラム仕様書の作成


プログラムの仕組みは、入力データあって、その途中のプロセスを経由して出力がある。このプロセス部分をプログラムを組んでデータ制御することなる。

私の新社会人時代、共有使用のダム端末(TSS端末)はあったが、会社の机上にはまだパソコンのない時代だった。パソコンがないと机上って結構広いもんだ。机の上にバインダーやファイルを立てたり、書類を山積みにして自分のディスク領域を誇示していた人も少なくなかった。

そうそう!ディスクには大抵灰皿が置いてあって、タバコの煙が室内に充満していた。私はタバコを吸わなかったこともあって、常にタバコには悩まされた。何故か当時はヘビースーモーカーが沢山いた。

テンプレート

最初の頃はこんなテンプレートを使ってフローチャートや入出力仕様書を書いていた。鉛筆かシャープペンシルを使って、所定の仕様書なる紙に手書きで書いていた。消しゴムが必須な職場だった。
仕様書はコクヨの厚いバインダーに閉じられてラックに保管された。半端ないバインダーの数だ。

こんなテンプレートで手書きしていたの?・・・「非生産的だなあ~」と思う人も少なくないと思う。
確かにかなり非生産的だ。仕様書の変更は一括文字変換が出来る訳でもなく、仕様変更が発生すると、途中にページを追加するなどアナログ的な対応をするしかなかった。

仕様書を書く人の字が下手だと、仕様書の中味までポンコツに見えてしまったもんだ(笑)。

テンプレート

しっかり自分の名前を貼ってある。私が一番愛用したテンプレなのだ。今でも残っているのが凄い。
プログラム仕様書、ワークフロー、入出力設計などを作成する時に頻繁に使用した。

テンプレート
YAC IIチャート用

その後、構造化プログラミングがメーカーによって提唱されだす。とにかく開発におかしな決まりごとが沢山あり、この開発手法が大嫌いだった。

YAC(ヤック、富士通)、HIPO(ハイポ、IBM)・・・今となっては懐かしい言葉だが、要はエンジニアによって癖となるプログラミングは良くないってことで、誰が組んでも同じ組み方になるように提唱されたのだ。富士通のYPS COBOL(ワイピーエス コボル)で組むよう強制された時は、自由を剥奪された感じで、嫌で嫌で仕方がなかった。言語仕様よりコーディングルールを覚える方が大変、本末転倒だ。おまけに富士通開発から離れるとYPS COBOLの知識は役に立たない。結局、他の人に任せてまともに組んだ記憶がない(ホントの話)。

フローチャート
フローチャート

プログラム仕様書
プログラム仕様書

いづれパソコンが一人1台の時代になると、殆どの仕様書はワードやエクセルで作成することになる。ちょうどこんな感じでね・・・。

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