1987年
1987年4月、米IBMがPS/2(Personal System/2)発表する。
ほぼ同時期の1987年5月、日本IBMがPS/55(Personal System/55)を発表している。
んん?同じ1987年に本家IBMがPS/2を、日本IBMがPS/55を発表したって?
当時はこの違いの意味が分からなかった。この 米IBMのPC と 日本IBMのPC の大きな意味は何年も経過して知ることになる。

IBM PS/2 (Model 25)
この頃のパソコンは日本語表示が壁になっていた。NEC PC98が我が世の春を謳歌できたのも日本語表示機能が大きく関係している。海外製PCをそのまま持ってきても日本語を表示することが出来ないのだ。英文タイプライター(レトロな言葉かも?)をイメージすれば分かる。どう逆立ちしたって日本語をタイプ出来ない。
PS/2 と PS/55を調べ出すと、ISAバス(アイサバス)、EISAバス(イーアイサバス)、MCA、VGA、XGA・・・などを比較した記述が登場する。
否!知りたいところはそこじゃない!肝心な部分が曖昧になってくる。ひとことで誤解を恐れず記述するならば、PS/55はPS/2をベースに日本語機能を搭載したものと考えて良い。日本人のためのPCだってことだ。

当時のIBMは巨大コンピュータメーカーであり、メインフレーム時代のIBMは世界を牛耳っていた。私もIBMのメインフレームの経験は沢山あったし、コンピュータ史はパソコンでなくメインフレームからスタートしている。当時のIBMはとにかく凄かった、今のGoogleみたいに絶対的ポジションを確保していた。

IBM PS/55(企業のオフィスで良く見かけた)
そんなメインフレームの雄 IBMが出すパソコンは最初から一目置かれた。1981年と年月を遡ることになるが、IBMはパソコン発売に伴い仕様を公開した。
PC/AT互換機とは、米IBM社が1984年に発売したPC(PC/AT)と互換性のあるパソコンの総称で、PCの業界標準機として広く普及した。つまりIBM仕様のPCが現在の大多数のPCの発展系と考えても間違はない。
数年後、日本で「AT互換機」「DOS/V機」と騒がれるようになる嵐の前の出来事だ。
053 IBM-PC 5150の登場で変わる市場
【画像/関連資料】
アイキャッチ画像:IBM PS/2 Model 25
Akamakiさん
IBM PS/2
IBM PS/55