自分コンピュータ史

137 アップル天才デザイナー ジョナサン・アイブ

ジョナサン・アイブ #1
1980年初頭~2019年

1998年、お洒落なiMacが登場する。半透明なデザインで潰れかけたアップルをiMacが救った。

当時のPC雑誌はこぞってiMacを特集したもんだ。PCスペックよりも見た目のデザインが斬新だったからね。このiMacの影響でPC以外の日常生活用品にスケルトン製品が登場した。


ジョナサン・アイブ、間違って同じ本を2冊買ってしまった…😅

iMacの登場を単純に記載するよりジョブズがいかにデザインに拘ったを記載するほうが断然面白くなると思った。以前に購入したジョナサン・アイブの本を再熟読してみた。第4章のジョナサン・アイブがアップルに入社するあたりから読んでいて非常に面白い。デザイナー必見の書籍だな。

スノーホワイト

1980年代のアップルは、ハルトムット・エスリンガーなるフロッグデザイン事務所にアップル製品のデザインを依頼していた。これは1985年にスティーブ・ジョブズがアップルを追放される前からだ。


スノーホワイト フロッグデザイン Apple IIc

エスリンガーはアップル製品に「スノーホワイト」と称するデザイン言語を用いた。「デザイン言語って何?」と私は思った。私はデザイナーではないが、これを疑問に感じることはデザイナー職が自分には失格だと思えた。

「デザイン言語」とは、製品や建築、大きく捉えれば都市やサービスに至るまでのデザインするためのスキームでありスタイルとかを指すらしい。勿論、実際に見えないものも含まれる。
う~ん さっぱり意味が分からない。


スノーホワイト フロッグデザイン Apple IIGS
尚、このAppleロゴもフロッグデザインだ

「デザイン言語」を調べると、ブランド名の統一や製品の統一とかのワードが出てきた。確かにアップルの製品は、HP社やDELL社の製品と見た瞬間に見分けがつく。ブランドロゴや企業ロゴもそうだ。デザイン事務所はそうした「デザイン言語」を意識して創作しているようだ。「言語」なんて言葉を使うから分からなくなるんだ。

ここで言うデザインとは製品のデザインは勿論のこと、周辺機器、ソフトウェアを含む一体感のある企業イメージだ。そのデザインがアップル製品は統一されていなかった。
そう、まさに「統一デザイン言語」がなかったのだ。なるほど「統一デザイン言語」とはこう言う意味で使えば良いのか…と。


プロトタイプを作成するAppleデザイナー(※注)

ロバート・ブルーナー

エスリンガーのデザイン料はかなり高かった。必然的にフロッグに依頼しているためアップルはデザイナーを抱えていなかった。

ジョブズが去ったアップルは、徐々に製品の統一が乱れ、会社は危機に瀕していた。アップル幹部はデザインチームを作るため世界中の有名なデザイン事務所を訪れデザイナーを探した。東京のトップデザイナーにも会ったようだ。

しかし、なかなか見つからない。
途方に暮れていた時、面白いことにアップルと密接に仕事をしていたロバート・ブルーナーを見つける。まさに灯台下暗しだ。

経営陣は何度もブルーナーを説得し、アップルに来ないか?と打診をする。

説得が功を奏して、1990年 32歳のブルーナーはアップルに入社する。
職場に行くと、回りは全員エンジニアばかりでデザイナーは自分一人だけだった。「なんてこった!来るんじゃなかった!」

そんな環境下でもブルーナーは、デザインチームを作るため改革する。詳細はジョナサン・アイブに書かれてある。工業デザイン志望の人は必読だよ。面白い。

退屈な仕切り机の中ではデザインなんて出来ない。そんなところじゃ誰も働きたがらない。天井が高くて気持ちの高揚するようなオープンスタジオが絶対に必要だ。それがものすごく大切なんだ。それが仕事の質を左右する。やる気を生むんだ ロバート・ブルーナー/ジョナサン・アイブの96頁

ブルーナーは職場環境を整備し、デザイナーを集めだした。
そして、1992年 27歳のジョニーことジョナサン・アイブがアップルに入社する。(続く)


(※注)ジョナサン・アイブ時代のアップルデザインスタジオの動画からの画像。YuoTubeで見ることが出来る。ナレーターもジョナサン・アイブとのこと。デザイン事務所って お洒落にレイアウトされた空間かと個人的に思っていたが、動画で見る限り試作品を組み立てる徹底した技術工房の感じがする。復帰したステーブ・ジョブズがジョナサン・アイブが率いるこのデザインスタジオに入り浸りるのが頷けてくる。確かにイメージが膨れそうだな。


アップルヒストリー(クリックで拡大)

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