1992年頃~
コンパック・コンピューターは、1982年にIBM PC互換機として設立されている。勿論そのとき私はコンパック・コンピューターなんて会社は知らなかった。
日本でDOS/Vが話題になると、コンパックはPC/AT互換機をひっさげて日本に進出してきた。当時は黒船来航 コンパックショックと呼ばれ、業界に激震が走った。決して大袈裟な表現じゃなかったんだな。
その頃の国内PCの価格はとにかく高額だった。当時の価格を見ると驚く、安くて30万、標準で40万~50万円、ちょっとスペックが良くなると70万円なんて馬鹿みたいにする。これにモニターやプリンターを購入すると100万円を突破する。100万円もして一体誰が購入するんだ?
コンパック Prolinea 3/25
それに対してコンパックのPCは、最安価格128,000円、標準価格198,000円で進出してきた。1992年頃までのPC98シリーズの価格をチェックすると40万円~70万円あたりが平気で並んでいる。
但し、注意事項としてハードディスクの有無と容量で価格は大きく変わるため メモリ容量とハードディスクなしで比較するべきだ。
十分なスペックで比較すると、コンパックPCも衝撃的な低価格とは言えない。と、言うのもコンパックのPCは米国ではもともと高性能・高価格からスタートした企業だ。低価格PCは発売されたが、要は日本のPCが日本語機能に守られ異常に高かっただけだ。
ともあれコンパックPCは相対的に価格が安かったため、コンパックPCが登場した1992年以降の国内PCは価格を下げざるを得なくなった。
Windows3.1(日本語版 1993年)
更にNEC PC98シリーズにとって深刻な事象が登場する。1990年に米マイクロソフト社が Windows3.0を公開し、1993年5月に Windows3.1(日本語版)が発売するのだ。当時、出る出ると言われながらようやく登場した感じだった。
凄いのは、安いDOS/V機を購入すればWindowsマシンが手に入ることだ。動作が重く不安定なWindowsから ようやくWindows3.1(日本語版)で安定レベルとなった。
Windows3.1
当時、私の在籍していた開発部署もWindowsPCを次々に導入した。これまで使用していたワープロソフトはワードとなり、エクセルが急速に浸透し、ビジネススタイルが大きく変わっていく。DOSからWindowsへの大きなシフトチェンジだ。
ビル・ゲイツはやはり凄い人物だ。米国は勿論、日本企業もゲイツ戦略に見事にはまった。
この重要な時期にスティーブ・ジョブズは何をしていたかって? ジョブズはアップルを追放されていたのだ。
【関連】 104 コンパック・コンピュータ
【参考】 PC98シリーズの価格