流通システム/物流システム徒然記
そんな訳で、1973年に15名によるコンビニProjectがスタートする。
素人集団と言うだけに、スタッフには元パン屋さんや元自衛隊も含まれていた。
鈴木が あえて素人で構成したのは、なまじ経験者で無い方が良いと判断したからだと思われる。
未知なるコンビニプロジェクトに過去の経験者の発言は邪魔になると考えたのだろう。
まもなくセブンイレブン1号店となる山本酒店(山本憲司さん)から手紙を貰う。
「 私にやらせて下さい 」
鈴木はヨークセブン設立前後の11月、12月と忙しい日々を過ごす。
会社設立直後のヨークセブンの事業戦略は まだまだ模索中の段階で、山本酒店から手紙を貰ったものの、鈴木が山本酒店を訪問するのは年を越えての1974年の正月だった。
プロジェクトスタッフは設立早々から順番にアメリカでの研修を受けたが、とても即実践に役に立つ内容では無かったらしい。
考えてみれば、広大なアメリカのクルマ社会をそのまま日本に導入しても上手く行くはずがない。
ところで、セブンイレブン1号店となる山本酒店の江東区豊洲は、今でこそ地下鉄が通りNTTデータ等の大企業や高層ビルが立ち並んでいるが、当時は工場と空き地だけだった。
個人的に言っても、今でも通勤は非常に不便なところで、地下鉄を幾つか経由しなければいけない陸の孤島の感はある。
山本が酒屋を継いだのは、酒屋を経営していた父親が急死してからだった。
母、妹、弟を持つ山本は、生活のため明治大学を2年の時に中退し酒屋のあとを継ぐ。
山本酒店に限らず当時の商店街の酒屋の多くは、注文配達によって支えられていた。
時間と労力が掛かる割には、売上げは一向に向上しない、豊洲に店を構える山本酒店も岐路に立たされていた。
NHK プロジェクトX 「日米逆転! コンビニを作った素人たち」より
何とか経営を良くする方法はないか?
山本はヒントを掴むため 色々な情報を集め、そこでイトーヨーカドーがヨークセブンを設立しコンビニエンス業界に進出するニュースを知る。
そして、先ほどの「 私にやらせて下さい 」の手紙になる。
鈴木は年が変わった1974年の正月早々に豊洲の現場に出向く。
しかし、工場と空き地を見て大きく落胆した。山本にしても突然のヨークセブンの幹部訪問に驚いた。
鈴木も崖っぷちだったが、山本酒店の店舗状態を見て山本酒店も崖っぷちだと鈴木は感じた。お互いそれぞれの危機感を持っていた。
山本のコンビニをやりたいと願う熱意を感じ、鈴木はコンビニ第一号店をこの豊洲で行うことを決心する。
その年(1974年)の5月開店を確認し、こうしてコンビニ1号店の誕生のドラマが始まる。
いよいよコンビニ第1号店が豊洲に誕生する。
しかし!しかしだ! このあと流通と物流のさまざまな問題点が浮上する。