流通システム/物流システム徒然記
山本は5月のオープンを目指して、土地を担保に銀行から2200万円を借り入れ店の改装を始めた。
もう、山本は後戻り出来なかった。
その頃、ヨークセブンに転籍を前提にイトーヨーカードに中途採用された鎌田が頼みの綱のセブンイレブンのマニュアルを翻訳を始める。
「 このマニュアルさえあれば、何とかなる 」 そんな感じで読み始めた。
しかし、次第に鎌田は青ざめる。
セブンイレブン プロジェクト関連図
マニュアルは全く役に立たなかった。
マニュアルの内容は一般的な販売のノウハウばかりで、一番知りたいビジネス戦略の内容が殆ど記載されていなかった。
レジうちの仕方とか接客の仕方も重要だが、最も知りたいビジネス立ち上げノウハウの記載が殆どなかったのだ。
8年で1200店舗が条件、出来なければペナルティ。
具体的に記せば、1981年2月末までに店舗を1200店にまで出店していなければならなかった。
巷に出回っているセブンイレブン成功ヒストリーの書籍には、「 1200店の出店は不可能じゃない 」旨の 鈴木の強気な掲載記事を見かける。
しかし、当時の日本はオイルショックの真っ只中、メンバー誰しも1200店舗の出店など夢の夢に思えたはずだ。メンバー誰しも目の前が真っ白になったはずだ。
全てが初めての試みだった。
プロジェクトは異常なほど大きなエネルギーと時間を費やされることになる。
ヨークセブンももう後戻りは出来ない。 メンバー共々大きな大きな不安を感じながらプロジェクトは進んだ。
1号店のオープン直前に際してアメリカから指導員が視察に来た。
店舗を見て「 この場所で、この狭さじゃ話しにならない 」
(注) 何度も記載していますが、この内容は「NHKプロジェクトX」の内容をメインに各種情報を加えながらストーリー構成しています。