現在、50代、60代前半のCOBOL技術者を物色中。
COBOLと言えばメインフレーム、歴史ある言語だから技術者の年齢層は必然的に高い。基本的にCOBOL全盛期の技術者層を考えると60代から70代。とは言え 70代では体力的な問題もあり、求める人材は50代後半から60代の前半あたりかな。
ここで ちょっと過去に戻ってCOBOLの話をするね。Back to the future ならぬ Back to the COBOLだ。
COBOLと言えばメインフレーム、日本では大型汎用機と言われる。かって、IBMを主軸に主要先進国で製造開発された。日本は国の支援で、日立、NEC、三菱電機、富士通、東芝、沖電気の6社が奮闘したが、現在も生き残っているのは富士通、NEC、日立だけ。

さらに現在、全世界で生存するメインフレームは、IBM、富士通、NEC、日立、ユニシス、アトス(Atos)だけ。何と日本企業が半分も生き残っているのは凄いとも言える。これは1980年代の日本が強かった故なんだ。
現在の日本と言えば、日立はハードウエアの製造から撤退しているし、富士通は2030年に撤退を表明している。残るはNECだけ・・・寂しい限りだ。
【関連】“揺れる”メインフレーム市場 IBMはAI次世代機、富士通は撤退へ
いつ頃になるのかな? 金融系の基幹システムのCOBOLをJavaに置き換る試みが一時話題になった。

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上の資料は、「みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史」日経BP社発行の資料を私が少しアレンジしたもの。心臓となる基幹業務は、やはりCOBOLになるんだ。
【OM関連】118 みずほ銀行、苦闘のシステム統合
「みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史」、本の書き出しは「東京スカイツリーの建設費七本分」から始まっている 😵 スカイツリーが7棟並んでいる光景を想像してごらん。もう圧巻だよね。それだけ開発費用がかかったって訳だ。ちょっと調べると 4,000億円超のようだ。

第一勧業銀行と富士銀行、日本興業銀行の3行が統合してみずほ銀行となる。1999年に統合が発表され、2000年からシステム統合プロジェクトが稼働し、20年の歳月を要して統合完了する巨大プロジェクトだ。
最終段階には、都内のテレビに「システム移行でXX日からXX日の期間はATMがご利用できません」と頻繁に流れた。
しかしその後、2021年みずほ銀行は、不運にもシステム障害を短期間に何度も発生させてしまう。当時、システム障害のニュースはテレビやネットで大規模に報道されたので、記憶に残っている人も少なくないと思う。
私は統合前の3行のひとつ日本興業銀行のシステムに着手した経験があるが、とにかくシステムが複雑で、胃に穴が空くほどの日々を経験した。

興銀(中央)、勧銀(左)、富士銀(右) 3統合発表後の頭取(1999年8月)
簡単に言えば、リテール(個人や中小企業対象の小口)は第一勧業銀行、ホールセール(大手法人)は興銀のシステムを片寄せ。3行統合後に新たにシステムを構築する予定で進められたんだ。
【片寄せ】一方のシステムを活用し、他方のシステムを捨てること。
COBOLが強かった時代の日本は、アメリカと共に強国だった。
これはメインフレームと半導体事業との関係がある。メインフレームを製造する東芝、富士通、NEC、日立、三菱電機などは、半導体事業にも進出していたからなんだ。
1980年頃の半導体事業は、米国が強かったが、どんどん日本はシェアを伸ばし、1980年代中頃になると米国を抜き去る。そして、1980年代後半には日本は堂々たるトップに君臨するんだ。
日本はメモリ事業も凄かった。インテルがメモリ事業から半導体事業に戦略転換を図った記事は、少し前に投稿している。
【OM関連】057 インテル、グローブの大決断
私が40代の頃。COBOLによるJR VIEWカードの大規模システム/データの切り替え作業を経験した。言語は大型汎用機のCOBOLだった。本番を想定し、夜間の置き換えのリハーサルを何回も行った。データ量が膨大だったため、数回に分けて置き換えたんだ。何度か徹夜で立ち会っている。何回もリハーサルを行ったことが功を奏し、この大規模移行は成功した (乾杯!)
とても爽やかな徹夜明けを経験した。まるで何もなかったようにシステムが稼働したことが奇跡のようだと業界ニュースで報道された。もし、トラブルが生じたら、みずほ銀行のような大ニュースになっていただろうね。














































