私が現役20代の頃のコンピュータはメインフレーム(大型汎用機)が中心で、IBMが物凄い力を持っていた。

メインフレーム(1980年代前半)
IBMを頂点に、富士通も日立もその配下に位置していた。IBMは巨大企業であり、コンピュータの思想概念はIBMがモデルとされていたんだ。
しかし、巨大企業であり超階層的組織、とにかく意思決定が遅かった。マイクロプロセッサの進化に合わせてPCが登場し、PCが徐々にビジネス市場に侵食していく予兆があった。
これを食い止めるには、いち早くIBMもPCを市場に投入する必要があった。IBMがPCを出せば、PC市場においてもIBMが王者として君臨できるからね。事実 IBMのPCが登場すると、市場はIBM PC互換機だらけになったんだよ。

初代IBM PC 5150
IBMはメインフレームの基盤は盤石だったが、PCは遅れていた。PC向けのOSさえ持っていなかったんだ。IBMが内製で市場投入するには何年もかかってしまう。それでは間に合わない。
そこで短期間で市場に投入するためオープン戦略に出た。極端に言えば、IBM側はPCの仕様を公開し、必要部品をベンダーから調達する方法だ。そのOSがマイクロソフトだった訳だ。マイクロプロセッサはインテル製でね。
でも、これが大きな間違いだったんだ。
【OM関連】121 IBM PC向けOS PC DOS

IBM「PC DOS」と Microsoft「MS DOS」
ビル・ゲイツが賢かったのは、OSの権利をIBMに渡さなかった。これによりIBM製品のPCには、PC DOSとして提供された。かたやIBM互換機メーカーにはMS-DOSとして提供した。極端に言えば、マイクロソフトのOSは、MS-DOSとIBMのPC DOSが市場に混在していたって訳だ。まあ中身は殆ど一緒だったんだけどね。
当時のCEOジョン・エイカーズに対するビル・ゲイツの駆け引きも素晴らしかった。若きゲイツは、相手がIBMであっても、OSの権利を渡さないと言い切ったんだ。
その後、多額な赤字を計上したIBMのエイカーズは退任するが、IBMの後任CEOはビル・ゲイツがふさわしいんじゃないかとさえ ささやかれたほどなんだよ😆 勿論、成立するはずないけどね。
ゲイツが凄いのは、IBMからOS開発を打診されたとき、マイクロソフトは まだOSを持っていなかったことだ。持ってもいないOSの受注を請けるなんて狂気だよね。但し、いきなりOSの開発依頼ではなく新IBMマシン用にROM-BASICを供給して欲しい旨だったようだ。この頃のマイクロソフトはBASICが有名だったからね。

この時に一緒に活躍した日本人がいた。それが西さんだ。OS開発も請けるか請けないかを迷っているゲイツに「絶対やるべきだ!」と焚きつけたのも西さんだった。これは有名な話なんだ。
その後の西さんの活躍はリアルタイムで知っている。西さんがゲイツと喧嘩別れしなかったら日本のコンピュータ市場は大きく変わっていたはずだ。西さんファンとして とても残念に思ったもんだ。
【OM関連】090 西和彦 反省記
でも、もしOSが完成しなかったらどうなると思う? IBMとMicrosoftは、巨像と蟻だ。Microsoftは責任追及され、再起不能になったと思う。当然 DOSからWindowsにつながる経路が絶たれ、今のマイクロソフトは存在していないだろう。まあWindowsそのものは、他のIT企業が早かれ遅かれ登場させるはずだけど。
【OM関連】123 ゲイツ、人生最大なる決断
人生誰しも、一度や二度のチャンスはあるもんさ。それをチャレンジするかしないかで人生は変わるってことだね。
大抵の人はその勇気を持てずに諦めることが多い。

比較にならないが、私も創業時に大きなチャンスはあった。でも、勇気がなかった、「もし失敗したら?」と、行動する前に全身が震えたことを今でもしっかり覚えている。成功よりも失敗したときの恐怖が先に立ったんだ。
所詮、凡人だったって訳さ 😔
目的を成し遂げる人はやはり凄い。私なんかと全然違う!