以前、「インテル、奈落に突き落とされる」 の話をしたけど、インテル3代目CEO アンドリュー・グローブ(Andrew Grove)の思わず唸ってしまう経営話をちょっと記述します。
今やインテルって言えば、CPU(マイクロプロセッサ)の製造販売する巨大企業だけど、最初からマイクロプロセッサを製造販売していた会社じゃなかったんだ。
Intelは1968年7月、Robert Noyce(ロバート・ノイス)とGodon Moore(ゴードン・ムーア)によって設立されたことは広く知られている。「ムーアの法則」なんて言葉は、業界人であれば何度も聞いたことがあるはずだ。Intelの最初は半導体メモリメーカーとして出発している。3番目の社員がグローブだったって訳。

メモリーイメージは こんな感じ
情報処理技術者試験に必ず登場する半導体メモリ DRAM、SRAM、EPROMらの設問は、インテル発祥ってこと。コンピュータ概念は、IBMのメインフレーム技術によるところが大きい。つまりインテルやIBM発祥によるものが試験に出ているって感じかな。まあ、それだけ名を馳せた企業は情報処理試験にも登場し、コンピュータ業界において多大な影響力があったって訳だ。

CPUは こんな感じ
で、結論を書くとアンドリュー・グローブはメモリービジネスから撤退して、CPU(マイクロプロセッサ)ビジネスへ進むことを決断する。これには日本の半導体の低価格戦略が大きく関係している。「このままではヤバイ!」ってことだ。この頃の日本は凄かったからね。
実はマイクロプロセッサに移行するきっかけも日本だったかもしれない。私が下記のITブログ中頃に書いている。
【関連】「インテル4004と電卓のビジコン社」
但し、これは私の勝手な推測なので違っていると思う。こんな単純なはずがないからね。だから決して引用しないようにね😆
話を戻すが、当然、社内は騒然となる。グローブは殆どの報酬を投げうって進めた。

グローブは、当時のことを自著「インテル戦略転換」でこう語っている。
社員のひとりは猛烈な勢いで私に抗議した。
「メモリービジネスから撤退して、やっていけると本気で思っているのですか?」
私はぐっとこらえて答えた。
「ああ。出来ると思うね」
それから大変な騒ぎが起こった・・・
そりゃそうだろうね。
その後、紆余曲折したものの最終的に会社はグローブの戦略を支持する。そして結果はどうなったかは、現在のインテルの事業展開を見れば一目瞭然だ。
世界で最も優秀な経営判断を行い、見事に遂行した一人なんだよ。グローブの重圧はとんでもなかったはずだ。普通だったら重圧に押しつぶされてしまうからね。
凄すぎるよね。