前半はセブンイレブン誕生までの話ですが、在庫管理や多頻度小口配送がいかに重要なのか流れを追うことで把握出来ます。
流通システム/物流システム徒然記
そのアメリカで見たものは・・・ここからナレータ調で進めます。
1970年前後のスーパーと言えばダイエーや西友が隆盛を誇っていた時代であり、イトーヨーカドーは業界20位やや手前の中堅スーパーとして伸び悩んでいた。
その頃、清水秀雄氏(前回のNHKプロジェクトXの写真 参照)は店舗開発を担当を任されていた。
しかし、当時のセブンイレブンは立地条件の良い場所に出店するだけの資金力も無く、思うように業績は上がらなかった。
店舗企画開発力を問われた清水は窓際に追いやられる。
そんな清水を見かねて鈴木敏文氏は声を掛け、2人は行動を一緒にすることになる。
NHK プロジェクトX 「日米逆転! コンビニを作った素人たち」より
プロジェクトXの話によれば、この時期 イトーヨーカドーは小売店と大型店の共存を模索して米国大手スーパーマーケットを視察している。
しかし、巨額な資本で事業展開する本場アメリカの大手スーパーは、資金のないイトーヨーカドーにとって何の参考にもならなかったようだ。
デニーズ社との交渉に何度も渡米するが、デニーズ社は日本を眼中に置いていなかったため交渉は難航した記述が手元に集めた資料に幾つも見られる。
と同時に、米国を訪れる度に店舗数が増えているセブンイレブンの存在が何故か気になりだす。
デニーズ社と交渉が難航し途方に暮れているさなか、鈴木は清水と一緒にセブンイレブンの店舗に入る。
狭い店舗だが品揃いはとにかく豊富、不思議なことに一切値引きがない。
鈴木は 「 これは日本でもビジネスになる 」 と直感した。
セブンイレブンをチェーン展開するサウスランド社はテキサス州ダラスにある。
しかし、アポが取れるツテなど全くなかった。そこで伊藤忠商事に仲介を依頼する。
とは言っても伊藤忠商事にとって、中堅に甘んじているイトーヨーカドーは重要な取引相手ではなかったようだ。
過去の資料の記憶が正しければ、既に伊藤忠商事はダイエーにサウスランド社との提携を打診していた。
当時トップ企業のダイエーの中内功氏は「 そんな必要ない 」と断ったとか・・・この記載は、過去の記憶だけの記載のため間違っているかもしれない。
もし、ダイエーがこの依頼を受けて交渉の席に出ていたなら、少なくとも今のセブンイレブンは存在しなかった可能性が高い。
イトーヨーカードーがサウスランド社とライセンス契約を結ぶのは1973年11月である。
ローソンの社史を見ると、1974年12月にダイエーがローソンの親会社にあたるコンソリデーテッドフーズ社とコンサルティング契約を結んでいる。
年代だけで推測するなら、ダイエーが伊藤忠商事の持ち掛けを断っておきながら、後を追っかけた感じになる。
もしくは、その予定があったからダイエーは断ったのかもしれない。
(注意)インターネットで時代背景と各種情報をもとに記載しています。
時間を掛けて調べている訳ではないので若干誤解があるかもしれません。その際はご了承下さい。