1994年~1998年頃
世界最大のオンライン・サービス会社(#3/4)
AOLの会員数は急激に伸びていくが、致命的な問題を抱えていた。会員数の増加にシステムが追い付かなかった。つまり接続したくても いつも話し中だったんだ。
アメリカ・オン・ホールド(待機中)と言われ、世界最大のオフライン・サービス会社と揶揄された。幸い、無料試用の人が多かったこともあり深刻なクレームは少なかったらしい。こうした接続トラブルを抱えながらも会員数はどんどん増え、1994年8月には100万人を突破するんだ。
AOL ver4.0 配布 CD-ROM
Windows95の発売は1994年だった。それに合わせてビル・ゲイツはマイクロソフトのオンラインサービス(MSN: Microsoft Network)の発売を行った。しかし、発売は、遅れに遅れて1995年8月にずれこむんだ。
ちなみにWindows95日本語版は11月だった、なんとかWindows96にならずに済んだって訳だ 😆
勿論、スティーブ・ケースはマイクロソフトがこの分野にも参入することは以前から知っていた。Windows95は数百万人に届き、Windowsのディスクトップ画面の特等席にMSNアイコンが表示され、根こそぎ会員を奪われる可能性があった。その恐怖のなか、Windows95がリリースされるまでの期間、AOLはコンテンツの充実に猛進するんだ。
幸いケースの心配は起こらなかったんだ。いろいろな理由はあるが、最大の要因はMSNのコンテンツは未成熟だったことだね。
GAP広告キャンペーンのスティーブ・ケース(1995)
1995年、アパレル企業 GAP 春のキャンペーンにスティーブ・ケースが登場している。そのキャッチコピーは「ベストを尽くそう、カーキ色のスラックスで仕事をしよう。最高のものは必ず標準になる」(「AOL 超巨大ネット・ビジネスの全貌」早川書房 156頁より)。
何ともタイミングの良すぎるキャッチコピーだったが、打倒マイクロソフト「そのままの意味」だったそうだ。
ゲイツが投入するマイクロソフトネットワーク(MSN)の開発は相当過酷だったらしい。NT開発ストーリー時に登場した 「死の行進」 と似たり寄ったりだったんじゃないかな?
結果を先に書くと、MSNはAOL会員数の足元も及ばず、マイクロソフトは完敗する。この1994年にネットスケープやヤフーがメキメキ頭角を現してくる頃でもあった。ライバルGoogleはまだ登場していない。2人のヤフー学生創業者は、一時期 ネットスケープ社のオフィスに間借りする親しい関係でもあったんだ。
まもなくネットスケープとマイクロソフトの壮絶なブラウザ戦争が始まる。日本にいてもこの闘いは、感じ取れるほど凄かったんだよ。AOLは確実に会員数を伸ばし、1995年末には会員数400万人に迫ることになる。
Windows 3.1用 AOL Instant Messenger 初期版
AOLのオンラインサービスのブラウザをネットスケープにしようと、ケースはネットスケープに何度も接近するも交渉は成功しなかった。AOLは宿敵マイクロソフトと提携するつもりなんかなかったからね。
私は当時のネットスケープと初期バージョンのIEの両方の使用経験はあるけど、ネットスケープのほうが圧倒的に使い易かった。今もネットスケープの派生ブラウザFirefoxを第一ブラウザにしているくらい愛着も残っているんだ。
・Microsoft:AOLユーザーにIEを使用して貰える
・AOL:WindowsユーザーにAOLサービスを使って貰える
・Netscape:AOLが宿敵Microsoftになびくはずがない
ネットスケープは大馬鹿だ。
ネットスケープはAOLが宿敵マイクロソフトになびくはずがないと高を括って、ブラウザ使用にあたってAOLにライセンス契約を要求した。反してマイクロソフトは、AOLに無料でIEを提供するとした。
結果 AOLはネットスケープとの契約を行わず、ライバル関係のあるマイクロソフトと手を組むことになった。これを知ってアンドリーセンは青ざめたこと間違いない。ここで、ネットスケープとAOLの友好な関係は終わったと思う。
何故、ビル・ゲイツはネットスケープをこれほど恐れたのか?
ネットスケープがブラウザ市場を制覇すれば、いづれOSに進出する可能性もあるからね。これは後のGoogleやfacebookを恐れたのと同じ理由だね。Googleやfacebookの自社サービスがプラットフォーム化されれば、そこに多数のアプリケーションが登場してくるからね。