1985年~1990年なか頃
UNIXの覇者 サン・マイクロシステムズ(#2/6)
創業から1985年頃のサンは “The Network is the Computer“(ネットワークこそがコンピュータだ)なる標語を掲げていた。
今でこそネットワークに繋がっていないスタンドアロンPCは珍しいけど、当時は当たり前だったんだ。
この頃 データをやり取りする場合は、磁気テープやフロッピーディスクなどを使っていた。当時はそれが当たり前だったし、そもそも容量の大きい画像データは利用されなかったから特に問題はなかった。
ともあれ簡単にデータ連携が出来るネットワーク機能は切望された。
Sun Microsystemsのボブ・ライアンらが、中央ネットワークを介してファイルを共有できるNFS(Network File System)を開発した。この技術をサンは低料金のライセンスで提供した。このNFSによりIBMでもDECでもHPでもこのソフトウェアをPCに組み込めば、ファイル共用が可能となった。当然、どの企業からも高く支持された。
アポロも独自のファイル共有システムを持っていたけど、自社のOS「DOMAIN」でしか動作しなかったんだ。ノベルも1985年に複数のPCでデータ共有が出来るNetWare 1.0を発売している。この頃からネットワークが注目されたんだな。
ちなみに、1980年代中頃の私は大型機やオフコンを利用したシステム開発をしていて、データ間のやりとりは、VAN(Value-Added Network)とかEDI(Electronic Data Interchange)だった。今 思えば、フロッピー・ディスク1枚にも満たない数百キロバイト程度の少量データを実に大掛かりなシステムでデータ送受信していた。
Sun 3/80 workstation 出典 wikipedia
1985年後半にベクトルシャイムとビル・ジョイが中心になってリリースした Sun3 が高く評価された。まさに時代が待ち望んだマシンだった。作れば飛ぶように売れ、サン・マイクロは大躍進する。1986~1988年の頃だ。
ライバルであるアポロを1987年に追い抜き、勢いを失ったアポロは1989年4月 HP社に買収される。
サンの急成長に伴い、毎月何百人という社員がサンに入社してくる。あまりの急成長に体制が追い付かず社内は混沌としたらしい…。
サンがワークステーションでネットワーク分野に躍進し始める頃、1984年に創業したシスコなる企業がネットワークに欠かせないネットワーク機器に狙いを定めた。
業界を見渡すと、1984年1月 アップルは初代マッキントッシュを発売する。マイクロソフトは1985年8月にIBMとOS/2の開発を行うが、別の開発チームから同年11月にWindows1.0を発売する。但し、Windows1.0は動作が重く評価はイマイチだったけどね。
SunOS 3.5(1987年頃?) 出典 GUI Gallery
今でこそWindowsと言えば、マイクロソフトのWindowsだけど、サンもSun WindowsなるGUIを持っていたし、DECやHPらも独自のGUIを持っていたんだよ。Windowsと言う言葉は、まだマイクロソフトのものではなく、一般的な名称だったんだ。
【 関連 】069 マイクロソフト Windows1.0 発売
サンは1980年代中頃に、NeWS(Network extensible Window System)なるソフトを提供し、これを組み込むと他メーカーでもウインドウが実現できる画期的な仕組みを発表した。でも、残念ながらNeWSは支持されなかった。
と言うのも DECを中心とする X-Windowsなるウインドウ・システムがあったことと、礼儀知らずなサンを各社メーカーは嫌っていたからなんだ。マクニールは攻撃的だったからね。結局、サンは標準となったX-Windowsを文句を言いながら使用せざるを得なかったって訳。
SONY NEWS 出典 NWS-3870
ややこしいけど、1980年代後半にソニーがNEWS(Network Engineering WorkStation)なるUNIXワークステーションを発売する。SONYのNEWSは日本は勿論、海外でも評価が高かったんだよ。
UNIXの最大の問題は、標準から派生したUNIXが多すぎて、どれが標準なのか分からなくなったことかな。とにかくユーザーにとって混乱の種だからね。
それが発展して、1980年代後半あたりからOSF陣営とUI陣営なる2つの陣営がUNIXの標準化争いを起こすんだ。
2000年11月 初版発行