2002年~2004年
情報検索の覇者、グーグル(#4/6)
上のアイキャッチ画像は、2004年のナスダック上場時の超有名な画像だ(中央がラリーペイジ)。検索するとネット上のあちこちで見つかる。
AOLとの契約締結

AOL search(2008年)
2002年、スティーブ・ケース率いるAOLがGoogleと提携する。これにより 上図のAOLサービス画面に[Search Powered by Google]の検索ボックスが表示されるようになった。尚、上の画像の2008年頃は [Advanced Search Preferences]の文字表示になっている。
数冊のGoogle関連本を読むと、共通してGoogle最大の賭けだったと書いてある。
ウェブ広告業界の最大手オーバーチュアがAOLとの契約が2002年5月に終了するため、ペイジとブリンは、破産してもおかしくない条件でも契約を獲得しようと乗り出そうとしたからだ。
番頭役のシュミットがこれを上手く舵を取って、契約はなんとか成立させる。この頃のAOLユーザーは3,400万人だったとか・・・効果は絶大だった訳だ。Googleは検索して表示された広告にクリックされる度に小銭が入ってくるんだからね。
さらに Amazonのようなアクセス数が膨大なサイト等とも契約提携し、快進撃は続くんだね。
図書館の本を全部スキャンする!

話は遡るが、2002年、ペイジはミシガン大学の教授に提案を行う。大学の図書館の蔵書を残らずスキャンして、インデックスを載せて貰えるなら費用は全て負担すると。その蔵書の数は700万冊!
ほぼ同じ時期に、自分の母校スタンフォード大学にも同じ提案を行う。更に世界最大の学術図書館であるハーバード大学にも動いた。蔵書は実に1500万冊!
議会図書館、オックスフォード大学、ニューヨーク公共図書館などとも契約を結ぶ。私は業界ニュースでこれを知ったとき、ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンのスケールに圧倒されたもんだ。たいしたもんだ。
考えるだけなら誰でも思う。実行するとなると月とスッポンだからね。
但し、著作権などの悩ましい問題と闘いながら突き進むことになるんだ。出版社や執筆者、2005年に米国出版協会、その後に全米作家協会から訴訟と・・・何かをやり遂げるには障害はつきものだ。
面倒なことはシュミットが対応した。だからペイジとブリンに信頼されたんだね。とにかく凄いよ。
gmail登場(2004年~)
今やメール機能は当たり前になりすぎたけど、この頃は非常に重要な連絡手段だった。
2004年、Gメールなるメールサービスを提供する。既にyahooメール(1996年~)、マイクロソフトのHOTmail(1996年~)はあったが、ペイジとブリンは それらを超えるサービスに拘った。
何たって1GBのメール容量だ、容量がありすぎて初期バージョンは削除ボタンは不要、だから削除ボタンはつけなない!…だったとか😆
ペイジは「削除ボタンが必要だって?これだけの容量なんだから削除ボタンは無くてもいい」と抵抗したようだが、削除ボタンは付けられた。そりゃそうだよね、誰だって絶対要らないメールや永久に葬りたいメールはあるからね。
株式公開(2004年)
ペイジもブリンも、必要以上にお金持ちになるには興味がなく、株式公開する気なんかなかったが、法律の定める規定の限界を超えていた。もはや株式公開(IPO)は仕方なくだったようだ。
上場にあたって周囲とのゴタゴタがかなりあった。

画像:CNN Money
取材は5月だったが、9月号になってPlayBoyに 2人の記事が掲載された。証券取引委員会の規則では、幹部が自社を売り込む発言や記事を禁じられているにも関わらず、こともあろうに女性ヌードを扱っているPlayBoyにだ。

平凡なインタービュー記事で さしたる内容ではなかったようだが、投資家は大激怒し 周囲に波紋があったようだ。

画像:ebay.com
ともあれ、2004年8月 ナスダックに上場する。ここに2人は億万長者になる。かってのスティーブ・ジョブズがそうだったように、2004年以来の創業者の2人とシュミットは1ドルしか年収として受け取らなかったとか。ストックオプションさえも辞退していたくらいだからね。
従業員も大金持ちになった。会社の駐車場は従業員の高級車が並ぶようになったようだ😆
アイキャッチ画像:Founder Larry Page (center) with the Google crew on the day of the company’s IPO by FORTUNE